福井市には幕末史跡が豊富にありますが、
肝心の松平春嶽の墓は福井にはなく、
品川の海晏寺にあるのは周知でしょう。
とはいえ春嶽の墓が福井にあったようで、
痕跡を示す遺構が運正寺に残されています。
「運正寺」。
初代結城秀康は慶長11年(1606)に死去。
帰依する曹洞宗の孝顕寺に埋葬されますが、
これを聞いた徳川家康が激怒した為、
浄光院を開山して遺骸を改装させました。
後に浄光院は運正寺に改称され、
以後は藩の庇護を得て隆盛しています。
「戦災前の全景(現地説明板より)」。
雲正寺は境内に塔頭4ヶ寺が建立され、
廟所が安置された荘厳な寺院だったとされ、
後に後期藩主の墓所にもなっていましたが、
福井大空襲と福井地震で多くの伽羅が焼失。
藩主墓碑は海晏寺に移されました。
運正寺には秀家の廟所の他に、
10代松平宗矩、12代松平重富、
13代松平治好、14代松平斉承、
15代松平斉善の廟所があったようで、
春嶽の死去後にも御霊屋が建てられて、
その遺髪が納められました。
「旧福井藩士奉納石燈籠」。
現在は本堂前に並んでいますが、
元は廟所に登る階下に建立されていたもの。
竿の部分に[従一位慶永公広前]と刻まれ、
春嶽の為に建立されたものとわかります。
「従一位松平慶永公広前石燈籠寄附者人名」。
寄付した旧藩士787名が記されています。
藩主家墓所が戦災で破壊された例は多く、
尾張徳川家、松山松平家、福岡黒田家など、
都市部にあった墓所が被害に遭いました。
これらは修復や合葬がされたりしてますが、
福井藩松平家の場合は海晏寺に改葬され、
残念ながら現在は非公開となっています。
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