曹洞宗の宗祖道元は比叡山延暦寺に入門。
本覚思想に疑問を持って比叡山を去り、
臨済宗の建仁寺に入門します。
しかし建仁寺でも道元の疑問は解けず、
師の明全らと共に宗へ渡って天童寺に入門。
如浄禅師に師事して修行の末に帰国し、
興聖寺を建立していますが、
比叡山からの迫害を受けて越前国に逃れ、
現在地に大佛寺を建立。
後に大佛寺は永平寺と改められました。
「永平寺」。
横浜の總持寺と並ぶ曹洞宗の大本山。
訪問時は日曜日で結構な観光客がいました。
33万㎡の境内に70余の諸堂が立ち並び、
至る所で若い修行僧が掃除をしています。
「勅使門(唐門)」。
入口よりまっすぐに進むと現れる勅使門は、
勅使を迎える時のみに使われた門で、
現在は皇族の入山時や貫首就任時のみ開門。
門扉には菊花紋が飾られています。
「通用門」。
先ほどの勅使門からは入れませんので、
こちらから入山します。
吉祥閣という4階建の巨大な建物があり、
境内の参拝は順路に沿って進みます。
「中雀門」。
順路を進むと山門の下に至りますが、
山門は正面から撮影する事はできません。
中雀門は山門と仏殿の間の二重門。
「仏殿」。
中雀門の上の本尊釈迦牟尼仏を祀る仏殿。
本尊右に未来弥勒仏、
左に過去阿弥陀仏を配し、
七堂伽藍の中央に位置します。
これらを繋ぐ回廊階段。
ピカピカに磨かれているようで、
修行僧達が毎日の磨いているのでしょう。
「法堂」。
さらに上にある法堂は説法の道場。
一般寺院の本堂にあたります。
朝のお勤めや各種法要が行われるようで、
広い堂内は380畳敷という。
道元の遺骨を安置する承陽殿を参拝。
廊下から直接正面に至るので写真は無し。
そこから帰る順路となるのですが、
中庭に位牌型の墓石を見つけました。
廊下より裏面が見えるのですが、
徳川秀康卿生母之墓也と刻まれています。
「長松院殿瑞嶺玄祥大姉」。
徳川家康の側室お万の方の墓。
承陽殿の前よりズームで撮影できました。
お万の方は家康の正室築山殿の奥女中で、
家康の手付となって結城秀康を産みます。
秀康は双子であったとされており、
それを忌み嫌われて初の親子対面は、
秀康が2~3歳の頃であったという。
お万の方は秀康の越前入封に同行。
永平寺に高祖の袈裟の裏地を寄進しており、
この縁から永平寺に分骨されたようです。
「松平公廟所」。
山門の東側にある越前松平家の廟所。
案内も全く無いし非公開なので、
調べてないと絶対にわかりません。
ここには福井藩3代松平忠昌と継室慶寿院、
4代松平光通と正室清池院の墓があります。
忠昌の分霊墓として光通が築いたもので、
光通も遺言によって分骨されました。
※光通の墓は大安寺と高野山にもあります。
永平寺は幾度も火災に見舞われており、
諸堂は近世以降のものです。
それでも美しく苔生しており、
沢山の僧侶達によって綺麗に磨かれ、
素晴らしい景色を保っています。
こういう場所には一人よりも、
家族を連れて来たいなと思いました。
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