タイトルに玉琁寺と書きましたが、
琁という字は正確にはさんずい(氵)で、
おうへん(⺩)ではないのですが、
PCでは漢字変換が出来ませんので、
文中は玉琁寺に統一させて頂きます。
久居藩の歴代墓所は寒松院にありますが、
2代及び3代のみ玉琁寺に墓があります。
「山門」。
長屋門形式の山門。
玉琁寺は初代藤堂高通によって創建され、
久居藩藤堂家の菩提寺に定められました。
この門は創建当時のもの。
「本堂」。
本堂は明治36の火災で焼失しており、
大正3年に再建されたもの。
寺宝として初代、2代の藩主木像彫刻、
藤堂高虎画像絵画、
木像地蔵菩薩半跏像が残されています。
「藤堂家墓所」。
山門を過ぎた右側にあります。
トタンの塀が少し残念。
「顕輝院殿心峰宗覚大居士」。
2代藩主藤堂高堅の墓。
高堅は津藩2代藤堂高次の四男で、
津藩3代を継いだ兄藤堂高久より、
3000石を分与されて寄合旗本となります。
次兄の久居藩主高通が死去した際、
その子藤堂高敏が幼少であった為に、
高敏が成長するまでのつなぎとして、
久居藩主となりました。
しかし高敏が宗家の津藩を相続した為、
引き続いて久居藩主を務め、
18年の治世の後に死去しています。
「聖諦院殿郭然義空大居士」。
3代藩主藤堂高陳の墓。
高陳は高堅の長男として生まれ、
高堅の死去に伴い家督を相続します。
病弱であったためか実子はなく、
一門の藤堂出雲家から養子藤堂高治を貰い、
8年の治世の後に高治に家督を譲り、
久居で余生を過ごして32歳で死去。
高陳の後は4代、5代と宗家を継ぎ、
6代藤堂高雅が死去するのは30年後。
2代、3代が墓所としている事から、
歴代墓所にするつもりだったようですが、
30年も経過して有耶無耶となり、
寒松院が歴代墓所になったようです。
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宗家の津藩藤堂家の居城跡。
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他の藩主は寒松院に葬られています。