久居藩は津藩の支藩で、2代藩主藤堂高次の隠居により、
長男の藤堂高久に家督を譲る際、
次男の藤堂高通に5万石が分与され立藩された藩です。
久居藩は5万石規模の藩ながら、
領内の凶作や江戸藩邸の焼失が相次ぎ、
財政は破綻状態でした。
12代藩主藤堂高兌は、義倉積米制度を制定して、
藩士の知行や扶持米100分の1の積立を財源とし、
様々な藩政改革を断行して財政の正常化に努めます。
津藩9代藩主藤堂高嶷の死去により、
高兌は宗家の末期養子となって津藩主となった為、
代わって高兌の弟藤堂高邁が13代久居藩主となり、
高兌の意思を引き継いで、財政正常化を目指しました。
その後も、14代高秭、15代高聴と善政を敷き、
久居藩の財政改革は進行しますが、
火事や地震、物価高騰により、
最後まで久居藩の財政は好転していません。
ちなみに久居藩から、3人の藩主が宗家を継いでいます。
「高通児童公園」。
久居陣屋のあった場所は、
現在のこの公園や津市立久居中学校付近。
久居藩藤堂家は、城主格大名であった為、
藩庁は陣屋形式ながら久居城とも呼ばれています。
「御殿山の記念碑」。
大正10年に建てられた記念碑で、
歴代藩主の功績が称えられています。
幕末の久居藩は、津藩と共に行動し、
天誅組討伐などに参加。
15代高聴は、津藩主の名代として活躍しました。
王政復古後は、津藩に倣って新政府に恭順し、
戊辰戦争にも100名が出兵しますが、
戦死者はいなかったようです。
【久居藩】
藩庁:久居陣屋
藩主家:久居藤堂家
分類:5万3000石、外様大名(津藩支藩)
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