福岡市地下鉄唐人町駅を降りて西に進むと、
平野國臣を祀る平野神社があります。
「平野神社」。
近くにある鳥飼八幡宮の兼務神社で、
平野の誕生日に生誕祭が斎行されるという。
「社殿」。
祭神は平野二郎國臣大人命。
創建年は調べましたがよくわかりません。
「平㙒臣君追慕之碑」。
社殿横に建てられた大きな碑。
平野は福岡藩出身の尊皇攘夷志士で、
討幕を訴える過激な運動を展開しますが、
薩摩藩国父島津久光によって捕らえられ、
福岡藩に身柄を預けられて投獄されます。
その後、情勢の変化で許されて出獄し、
平野は再び尊攘運動に邁進。
吉村寅太郎ら天誅組の挙兵を制止させる為、
天誅組のいる大和五條に赴いていますが、
この間に八月十八日の政変が発生。
平野は急いで引き返しますが、
既に京の尊攘派は壊滅状態となっていた為、
天誅組に呼応しようと生野で挙兵を計画し、
長州へ赴いて公卿澤宣嘉を主将に迎え、
河上弥市ら30数名と生野に入ります。
しかし既に天誅組は壊滅していた為、
平野は挙兵の断念を主張しますが、
強硬派に押されて止むを得ず挙兵。
襲撃した生野代官所は無抵抗で降服し、
募兵で2千人を集めていますが、
幕府は迅速に対応して各藩に出兵を命じ、
翌日には出石藩や姫路藩が出動しました。
この動きに動揺した幹部らは分裂し、
主将の澤宣嘉らは逃亡してしまい、
騙されたと怒った募兵された農民達は、
河上ら幹部らを襲っています。
平野は兵を解散させて鳥取に逃亡しますが、
途中で豊岡藩兵に捕縛されて京都に送られ、
六角獄舎に収監されてしまいます。
長州藩は失地回復を図って京都に進発し、
禁門の変が勃発しますが、
その際に発生したどんどん焼けにより、
市中は延焼して六角獄舎に火が迫った為、
囚人の脱走を恐れた町奉行所は処刑を断行。
平野は30余名と共に斬首されました。
「平野國臣誕生之地」碑。
境内地は足軽平野吉郎右衛門宅跡で、
平野國臣の生まれた場所という。
平野は明治24年に正四位を贈られており、
霊山護国神社の墓地に墓碑が建てられた他、
上京区の竹林寺にも墓があります。
■関連記事■
・福岡県福岡市 西公園/平野國臣像
平野國臣の銅像が建っています。
・京都府京都市 六角獄舎跡
平野が収監され斬首された京都の牢獄跡。
・兵庫県朝来市 山口護国神社
生野義士を祀った招魂社。