中央区の西公園に平野國臣の像があります。
西公園は荒津山一帯を公園化したもので、
江戸期には東照宮が建てられていましたが、
維新後に廃社となりました。
明治14年に荒津山公園として整備され、
明治33年に西公園と改められた後、
黒田長政の祀る光雲神社が遷座。
大正期に平野と福岡藩勤皇派家老加藤司書、
軍人吉岡友愛の3銅像が建てられましたが、
空襲で破壊され平野像のみ再建されました。
銅像の多くが金属供出で失われていますが、
そうではなく空襲で破壊されたんですね。
西公園大鳥居から光雲神社への坂の途中、
西側の通路を曲がった先に、
平野の像が建てられています。
「平野二郎國臣像」。
平野は足軽平野吉郎右衛門の二男に生まれ、
足軽鉄砲頭小金丸彦六の養子となりますが、
国学、尚古主義に傾向し、
これを養父に咎められ離縁。
京都で尊皇攘夷活動を展開し、
幕吏に追われた月照を、
薩摩に送り届けています。
しかし薩摩藩では受け入れが拒否され、
悲観した西郷吉之助は月照と入水。
平野が西郷を救助したという。
以後も尊皇攘夷活動を続け、
薩摩藩に捕縛されたり、
福岡藩で幽閉されたりしていますが、
情勢が勤皇に傾いたことにより釈放。
京に赴いて学習院に出仕しています。
三条実美の命で天誅組制止に向かいますが、
その間に八月十八日の政変が勃発し、
これを聞いて京に引き返しますが、
尊攘派の壊滅を知って挙兵することを計画。
七卿の澤宣嘉を迎えて生野で挙兵しました。
しかし近隣諸藩から討伐をうけて壊滅。
平野は豊岡藩兵に捕らえられており、
六角獄舎に収監されています。
元治元年7月に禁門の変が発生。
戦火によって京が延焼し、
その火の手が獄舎に迫ったために、
獄役人は獄舎の囚人を斬首を決定し、
約30名と共に斬首されてしまいます。
■関連記事■
・京都府京都市 六角獄舎跡
平野が斬首された六角獄舎跡。
・福岡県宗像市 早川勇顕彰碑
筑前勤王党の生き残り早川勇の顕彰碑。
・福岡県福岡市 平尾山荘
野村望東尼の住居跡。
・福岡県筑紫野市 月形洗蔵幽閉の地
月形洗蔵が幽閉されていた場所。