タイトルを見て不思議に思った方も、
いらっしゃるかと存じますが、
相馬中村藩は福島県相馬市にある藩です。
藩主家は江戸時代を通じて陸奥相馬家でした。
その江戸上屋敷の門が何故、縁もゆかりも無い福岡に?
実は香椎中学校(現香椎高等学校)の開校にあわせて、
福岡県出身の実業家太田清蔵が、
下落合にあった相馬邸の正門を移築したようです。
下落合の相馬邸は、藩邸ではなく相馬家の住宅なのですが、
その正門は元々桜田の上屋敷正門を移築したのもので、
上屋敷の門に間違いはありません。
しかしながら江戸期の門かといえば異説もあって、
明治元年に、相馬中村藩邸は津和野藩邸へ引越しており、
元々は津和野藩邸の門だったという説もありますし、
引越の際に移築したともされています。
「旧中村藩江戸上屋敷移築黒門」。
香椎高等学校の正門(通称黒門)となっていますが、
現在の黒門は移築されたままの状態ではありません。
昭和22年の台風で半壊してしまい、
それを生徒達が押し倒してしまったようです。
なんてことを・・って感じですが、考えてみると、
僕も中学の時はイタズラも結構してましたし、
当時の生徒が押し倒したらどうなるのかな?
っていう衝動に駆られる気持ちもわからないでもない。
危険でもありましたので、半壊時に立ち入り禁止にして、
近寄れなくするべきでしたね。
その後、黒門の左右にあった中間長屋と出番所が解体され、
後の平成8年に新たに復元したとの事。
この門は初代校長が、太田清蔵に依頼して移築したものですが、
この校長はどこの藩の門なのかわかっていなかったようで、
「奥州中村の南部藩」の門だと話していたという。
もちろん奥州中村は南部藩の領地ではありません。
この間違いによって南部(盛岡)藩の門であるという誤解が生じ、
古い記録では「南部藩の江戸屋敷の黒門」とされたようです。
まあそんなわけで、奥州の相馬中村藩の江戸屋敷の正門が、
遥か離れた九州の地に存在するわけです。
門ひとつにも歴史や物語があるものですね。
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