福島県相馬市 相馬中村城跡①

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相馬家平氏一門の名家で、
鎌倉時代より陸奥国に移住し、
約740年の間この地を統治していました。
これは南部家島津家などと同様に最も古く、
世界史的に見ても長期の統治期間だったようです。

戦国時代の当主相馬義胤は、関ケ原の戦いの後に、
水戸の佐竹家に連座して一旦改易されてしまいますが、
義胤は改易撤回の直訴を行って許されています。

義胤は本拠地として牛越城を築城していましたが、
所領安堵の際にこれを破棄して小高城を本拠地とし、
その後、小高城から中村城へ移り小高城を破棄しています。
以後、中村城は相馬中村藩の藩庁となりました。
※中村城や中村藩は他の中村城と区別する為、
通常は相馬中村城、相馬中村藩と呼称されています。



中村城大手一ノ門」。
義胤が川越城城番だった頃に、
川越城の城門が堅固なのに感心し、
それを模して建てられたとされています。
※川越城は約8年間幕府直轄の城でした。


中堀」。
中村城跡は、水堀が多く残されています。
外堀以外のほとんどが残されていますので、
当時の姿が想像しやすい状態。


泣面堀」。
南側の中堀なのですが、
泣面堀という不思議な名称です。
ここを掘る際に相当に大変だったからなのか、
何か悲しい伝説があるのか?
調べてもよくわかりませんでした。


南二ノ丸跡」。
広々とした何も無いグランドとなっており、
イベントやお祭りなんかに使用されるのでしょう。
二ノ丸は東西南北の4つに分かれており、
それぞれ独立した曲輪となっています。
この南ニノ丸はその中でも一番面積が広い曲輪でした。


大坪當流相馬胤真先生碑(左)」、
正四位勲二等鈴木直人先生」胸像(中央)、
羽根田永清君碑(右)」。
相馬胤真は一門家老の相馬将監家の当主で、
大坪當流馬術の免許皆伝者。
広野の戦いで戦死した父相馬胤真の跡を継ぎ、
わずか11歳で当主となっています。

鈴木直人は明治から大正時代の政治家ですが、
幕末維新とは関係ないので割愛。

羽根田永清は相馬中村藩士で、
戊辰戦争に従軍し、戦後は自由民権運動に参加。
明治16年に官吏侮辱罪で逮捕。
福島監獄に投獄され、獄舎で死亡しています。


内堀」。
東二ノ丸跡を囲む堀。


相馬中村城址」碑。
南二ノ丸跡から東二ノ丸跡に至る通路沿いにあります。
傾いていますねぇ。


東ニノ丸跡」。
東二ノ丸跡は野球場となっています。
曲輪のカタチを利用した良い活用方法だと思います。
延宝2年(1674年)~天明3年(1783年)頃まで、
御殿が建てられており藩主の邸宅となっていたとのこと。
ん?ではその後の御殿はどこに?


石段を登って丸土張と呼ばれる馬出しに登る。
こちらが本丸への大手口のようです。

つづく。
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