宮城県仙台市 仙台城跡

仕事の研修で仙台へ行きました。
研修を終えて仙台駅で解散。
帰路は東京まで新幹線で行っての飛行機です。
せっかくなので少し帰りの便を遅らせて、
仙台市の史跡を訪問しました。

仙台駅から仙台城まで歩いて40分位
少し大変ですが行けない事も無い。
今回は研修ということで慣れない革靴でしたが、
なかなか仙台まで来ることが出来ないので、
頑張って歩く事にします。


大橋」。
仙台駅から青葉通りをまっすぐ西へ進むと、
広瀬川に架かる大橋に着きます。
仙台城と城下を結ぶために架けられたこの橋は、
広瀬川の氾濫により何度も流されていますが、
その度に架け直されました。
江戸期は木製の板橋、明治以降は鉄製となり、
現在は鉄筋コンクリート製となっています。
昔の橋は現在より北側に架かっていたとの事。


片倉小十郎屋敷跡」。
大橋を渡って左側の片倉小十郎屋敷跡
片倉小十郎といえば、
伊達政宗の側近片倉小十郎景綱や、
後藤又兵衛を打ち取った片倉小十郎重長が有名。
片倉家は代々「小十郎」を名乗っていたようで、
実際ここに屋敷が出来たのは重長の子村休の頃。
もちろん片倉小十郎屋敷に間違いありませんが、
戦国ファンには残念な話でしょう。
幕末期の片倉小十郎は片倉小十郎邦憲
代々白石城の城主を勤める小十郎家でしたが、
白石城は奥羽越列藩同盟成立の場となっており、
仙台藩の降伏によって白石城は没収。
片倉家の1万8000石の知行は、
僅か蔵米55石となったという。
これでは家臣達を養っていけないと、
蝦夷の開拓を新政府に嘆願して許され、
幌別郡(現登別市)を開拓しています。
※ちなみに白石城は一国一城令の例外。


史跡 仙台城跡」。
小十郎屋敷跡を過ぎると仙台城城域に入ります。
この石碑と同じものが、
城内に何か所か設置されていました。


日本フィギュア発祥の地 五色沼」。
「沼」と名付けられていますが三の丸の堀で、
このほかに「長沼」と呼ばれる堀もあります。
昔は凍結してスケートができたようで、
明治以降に仙台に在住した米国人や独国人が、
子供達にフィギュアスケートを教えたとされ、
フィギュアスケート発祥の地となりました。
現在は殆ど氷は張らないようです。


仙台市博物館(三の丸跡)」。
三の丸跡仙台市博物館となっています。
御蔵米などを貯蔵した蔵が建っていたという。


大手門跡」。
生活道路として車がどんどん通る大手門跡。
国宝指定の立派な櫓門があったようですが、
空襲によって焼失してしまいました。


在りし日の大手門。


支倉常長像」。
大手門跡を抜けた右手にある支倉常長の銅像。
慶長遣欧使節団を率いてローマに向かい、
ローマ法王への謁見を果たした人物。


大手門より左に曲がり、坂を登って行くと、
巨大な石垣が見えてきました。
歩いて登るにはなかなか辛い坂道。
この上が本丸です。


仙台城本丸大広間跡」。
本丸大広間があった場所。
礎石を配置して部屋割りが表現されています。


伊達正宗卿」像。
仙台に来たらこれを見ずには帰れません。
流石にかっこいいですね。
上野の西郷隆盛像や高知の坂本龍馬像と、
どちらが有名でしょうか?


昭忠碑」。
本丸の中央付近にそびえたつこの碑は、
西南戦争日清戦争の戦没者慰霊碑です。
前面にのブロンズ彫刻がありますが、
本来は碑の上部に設置されていたもの。
東日本大震災で落下してしまったようで、
修復後、基壇上に設置されました。


宮城県護國神社」。
明治37年に建てられた招魂社を起源とし、
昭和14年に指定護国神社となったもので、
日清・日露以降の事変の戦死者を祀った神社。
残念ながら仙台城内にありながら、
戊辰戦争の戦死者は祀られいません。
成り立ちがそういうものなので、
全く問題はないと思いますが、
複雑に感じられる方もいるでしょう。

仙台藩は奥羽越列藩同盟盟主となり、
各方面に藩兵を派遣しており、
1200名を超える戦死者も出しています。
同盟も仙台藩主導で行われ、
同盟軍の主力として活躍していますが、
惜しむべきは兵器の性能差軍制改革の遅れ、
同盟軍の連携不足といったところでしょうか?

【仙台藩】
藩庁:仙台城
藩主家:伊達宗家
分類:62万5000石、外様大名(国持)

■関連記事■
宮城県白石市 白石城
 片倉小十郎家が代々城代を務めています。
宮城県仙台市 茂ヶ崎 伊達家墓所
 伊達宗家の墓所。残念ながら非公開。
愛媛県宇和島市 宇和島城
 政宗の庶長子伊達秀宗を祖とする別家。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。