伊達政宗の墓所瑞鳳殿への坂の途中。
観光駐車場を過ぎた左に瑞鳳寺墓地があり、
そこに鹿児島県人七士の墓があります。
「鹿児島縣人墓地」。
西南戦争に敗れて投降した西郷軍の将兵は、
国事犯として全国監獄署に移送されました。
宮城県でも椎原国幹以下305名が収容。
彼らは自ら県内の開発作業を願い出て、
開墾や築港工事に励みました。
この305名のうち13人が、
獄中で病死してここに葬られました。
後に遺族によって6基が引き取られ、
現在は7基が残っています。
墓の主は以下の通り。
鹿児島縣弐拾五歳 土岐丑之助墓
明治十一年戊寅九月十日
鹿児島縣弐拾五歳 有馬純俊墓
明治十一年戊寅九月廿六日
鹿児島縣小林郷弐拾三歳 有馬儀定墓
明治十一年戊寅十月十四日
鹿児島縣南方郷 長井彌藤太墓
明治十一年戊寅十一月二十日 歳四十八
鹿児島縣指宿郷 三十三歳 寺田泰助墓
明治十二年二月十一日歿
鹿児島縣高城郡高城郷 橋口仲二郎墓
明治十二年四月十一日歿 三十六歳
鹿児島縣帖佐郷 四十三歳 米良佐平太墓
明治十一年二月九日歿
やがて刑期を終えた国事犯達は、
故郷の薩摩などに帰って行きましたが、
その際に13人の永代供養を頼んだという。
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