今市宿は西国街道の宿場に指定さますが、
西隣の呼坂宿まで僅か半里程度しかなく、
非常に近い位置に宿場が置かれました。
これは東隣の高森宿の間に中山峠がある為、
その準備や休憩の為に設置されたもので、
補完的な役割を持っていたようです。
「今市宿跡」。
街道筋の両側に民家や商店が並び、
宿場跡の雰囲気が感じられます。
古い家屋はそれ程残っていませんが、
更新された家々が殆ど日本家屋で、
洋風建築が無いのが良いのでしょう。
「正覚寺」。
今市宿の東端にある浄土宗の寺院。
本陣に指定されていましたが、
殆ど休憩に利用されていたようです。
「高水村塾之址(手前右)」、
「括攘先生之碑(中左)」、
「塚本興十郎碑(奥中央)」。
正覚寺下に設置された石碑群。
高水村塾は明治31年に設立した学校で、
宍戸家郷校徳修館の侍講宮川視明が、
明治8年に高水村に私塾磨鍼塾を開き、
地元の子弟に教育を施していましたが、
明治13年の視明の死去に伴い、
磨鍼塾は閉鎖してしまいます。
この状況を憂いた門弟江田保等は、
正覚寺住職と私塾高水村塾を創立。
校名を変更しつつ55年もの間、
高水村の子弟を教育し続けた後、
昭和29年に岩国市内へ移転しました。
これが現在の学校法人高水学園のようです。
中所括襄は樋口村の塾で多くの子弟を教育。
優れた門弟は徳修館に推挙していたとされ、
上記の宮川視明もその一人であったという。
塚本興十郎は明治初期に萩に出向き、
竹細工の技術を体得して持ち帰り、
その技術を近隣の若者に教えた人物。
■西国街道の宿場町
■関連記事■
・山口県周南市 呼坂宿跡
西国街道37番目の宿場町。
・愛知県豊川市 御油宿跡
東海道の宿場町。隣の赤坂宿と僅か半里。
・山口県周南市 宍戸家郷校徳修館
一門筆頭宍戸家の開いた郷校跡。