佐賀藩家老諫早一学は文久3年、
領内の東望山、牧島、蠣道に砲台を築き、
それぞれが慶応2年に完成しています。
東望山は八郎川河口西側の丘陵で、
現在は東望山公園として整備されており、
山頂にグランドがある他、
大きなマンションも建っています。
国道34号線からの車道を上ると、
老人憩の家 東望荘の手前に標識があります。
「砲台石材」。
少し行くと砲台に使用された石材が。
更に進んで頂上へ。
「東望山砲台跡」。
直径3.6メートルの円形台座が現存。
この時代では珍しいものですが、
置かれていた大砲の種類は定かではなく、
長崎藩邸の六角砲ではないかとされます。
周囲には台場石塁があったとされますが、
現在は全て撤去されており、
この円形台座と先程の石材が唯一の遺構。
砲台は明治2年に放棄された後、
明治8年に撤去されて砲は払い下げられ、
溶かされて鍋や釜になったという。
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