近代日本画の父とされる狩野芳崖の旧宅跡が、
田上菊舎宅跡の北側にあります。
「狩野芳崖宅跡」。
旧街道よりひとつ西側の路地。
残念ながら空地となっていますが、
隣には古い家屋が残っています。
芳崖は長府藩御用絵師狩野晴皐の家に生まれ、
幼少時より画道に励んで才能を発揮し、
江戸へ出て木挽町狩野家に入門。
嘉永年間に弟子頭となって、
橋本雅邦と共に門下の竜虎と称されました。
後に長府藩に御用絵師として仕え、
動乱の幕末期には戦勝祈願の絵馬や、
測量図なども描いていますが、
明治維新後は養蚕業に手を出して失敗。
襖絵や杉戸絵等を描いて糧としました。
明治10年にみかねた友人の勧めで上京。
後に米国人美術史家フェノロサに評価され、
近代日本画を創生して人気画家となり、
名作「悲母観音」を完成させますが、
明治21年に病死しています。
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芳崖の銅像があります。
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南画家小田海僊の旧宅跡。