長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間には、
小倉側からの最初の難所である石坂があり、
諸大名も駕籠を降りて登った急坂の頂上に、
休憩所(立場茶屋)がありました。
この休憩所は銀杏屋と呼ばれ、
急坂を登り切った諸大名や幕府高官が、
しばしの休憩で体を癒したようです。
「立場茶屋銀杏屋」。
この銀杏屋の主屋が現存しており、
保存整備が成されて一般公開されています。
この銀杏屋は豪農であった清水家の所有で、
庭先に大きな銀杏の木があることから、
いつしか銀杏屋や銀杏屋敷と呼ばれ、
大名行列から事前に連絡を受けて、
主屋を休憩所として開放していました。
あくまで諸大名達の休憩所であった為、
宿泊する事は出来ませんでしたが、
昼食を取る事はできたようです。
座敷には上がることもできます。
大名が休憩する上段の間は書院造で、
他の部屋より三寸ほど高くなっており、
天井裏は土で塗り固められているという。
※暗殺避けの為。
上段の間にあるお殿様の顔出しパネル。
ゆきちゃんも大名となりましたが、
肩の手が心霊写真みたいになってます。
「立場茶屋の銀杏」。
この銀杏屋は天保7年(1836)に焼失し、
その翌年に再建されたもの。
庭の銀杏も被害に遭っていますが、
後に根株から芽が出て再生したようで、
現在の四幹立ちの大木に成長しています。
大名行列が宿場を通過する事はありますが、
このような難所では必ず休憩した筈。
長崎街道を通る九州諸藩の大名全てが、
この銀杏屋の上段の間に上り、
少なからず休憩した事でしょう。
歴代の佐賀藩主、熊本藩主、薩摩藩主も、
たぶん上段の間に座った筈です。
■長崎街道の宿場町
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