福岡県北九州市 僧清虚の墓

清虚国東半島伊美村に生まれ、
太兵衛という指物師であったという。
ある日、草相撲で友人と対戦しますが、
打ち所が悪かったのか死なせてしまい、
これを悔やんで供養の為に各地を巡礼。
後に仏門に入って清虚と名乗りました。
清虚は高野山で修行を行おうと、
下関を経由して上方に向かう乗合船に乗車。
部埼沖に来ると乗合客が念仏を始めた為、
何事かと尋ねるとここは座礁の多い場所で、
事故が多い魔の海域だという。
清虚は船頭に頼んで青浜で降ろしてもらい、
そのままそこに移り住みます。
山上に草庵を結んだ清虚は、
托鉢で得た米のうち一食分だけを食べて、
残りは金に換えて薪を買い、
夜な夜な行き交う船の為に火を焚きました。
人々は清虚を一食坊主と軽蔑しましたが、
死去するまでの13年の間、
毎夜念仏を唱えながら火を焚き続け、
多くの船を救ったという。

部埼灯台の南にある青浜の集落に、
僧清虚の墓があります。

部埼火焚開基僧清虚老頌徳碑」。
白野江1号線沿いに案内板があり、
それに従って進むと小さな墓地があります。
そこに僧清虚の墓があって、
写真の頌徳碑が建てられていました。
説明版も設置されていますが、
肝心の清虚の墓がどれかわからない。
それらしき墓を撮影して帰ったのですが、
どれも違ったようです。
結局は写真左下の墓碑が墓のようで、
墓単体の写真は撮影できませんでした。

清虚の火焚はその死後も消える事はなく、
浦民によって輪番制で続けられ、
これが現在の部埼灯台に繋がっています。

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