英国技術者リチャード・ブラントンは、
明治初期の日本に多くの灯台を建てており、
下関にも六連灯台や角島灯台等、
現存する石造りの灯台を建てています。
そのブラントンが建てたという灯台が、
門司の部埼に現存しているというので、
子供2人と共に行ってみました。
「僧清虚像」。
部埼灯台下にあるコンクリート製の像。
右手にトーチ風の何かを掲げるその姿は、
まるで自由の女神のようですが、
これは僧清虚の像であるとのこと。
子供達も「アメリカにあるやつじゃん」と、
声を揃えて言っていました。
部埼は企救半島の北東端に位置し、
岩礁が多く船の難所であったようで、
これを憂いた清虚という僧が火を焚き、
海峡を通る船の安全を守ったとのこと。
象は仏像彫刻家小森紫虹によるもので、
昭和48年頃に建てられたようです。
部埼灯台への道は綺麗に整備され、
緩やかな階段が設置されており、
子供や高齢者にも優しい。
「部埼灯台」。
慶応3年に幕府は英国と大坂約定を締結し、
船の安全航行の為に灯台の設置を約束。
※関門~大阪間に5灯台の設置を約束。
部埼の他、六連島、神戸の和田岬、
和歌山の友ヶ島、淡路島の江埼。
新政府は崩壊した幕府からこれを引き継ぎ、
明治3年12月に建設が開始され、
明治5年1月に完成しました。
歴史的価値の非常に高い灯台で、
令和2年に国の重要文化財に指定。
連成不動単閃白光という珍しい光り方で、
現在も海の安全を守っています。
「部埼潮流信号所」。
灯台の横には潮流信号所があり、
潮流の方向や速度変化を知らせています。
関門海峡は1日4回も潮流の向きが変わり、
その潮流は最大10ノット超。
この狭い海峡に1日千隻の船が航行する為、
このような信号は安全には欠かせません。
「僧清虚火焚場跡」。
灯台の下側にある清虚の火焚場の跡地。
誤って友人を死に追いやった事を悔やみ、
僧となったとされる清虚は、
部埼周辺で船の遭難が多く事を知ります。
天保9年(1838)頃に山上に草庵を結び、
托鉢で得た米のうち一食分だけを食べて、
残りは金に換えて薪を買い、
夜な夜な行き交う船の為に火を焚きました。
人々は清虚を一食坊主と軽蔑しましたが、
何年も続くとこの火焚で助かった人も増え、
やがては彼を敬うようになり、
小倉藩や下関の商人達も援助を行い、
清虚の死後もこれが続けられ、
次第に輪番制が確立していったという。
後にブラントンは全国を視察しており、
ここを灯台の設置位置としています。
火焚の終了時期は定かではありませんが、
たぶん灯台が初点灯した際だと思われます。
■関連記事■
・下関市彦島 旧俎礁標
ブラントンが設計した礁標。
・下関市豊北町 角島
角島にもブラントンの灯台があります。
・福岡県北九州市 僧清虚の墓
清虚の墓は近くにあります。