阿弥陀寺町の姉妹都市ひろばという場所に、
与次兵衛ヶ瀬の碑があります。
「与次兵衛ヶ瀬の碑」。
関門海峡は狭い場所で約650m程、
そこに1日約510隻の船が行き交い、
多くの船舶が通行していますが、
やはり現在も海運の難所でとのこと。
現在は浅瀬の除去、信号やブイの設置、
浚渫工事等で安全が保たれていますが、
昔はもっと危険な海峡でした。
その最大の難所が与次兵衛ヶ瀬… 続きを読む
下関市阿弥陀寺町 与次兵衛ヶ瀬の碑
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阿弥陀寺町の姉妹都市ひろばという場所に、
与次兵衛ヶ瀬の碑があります。
「与次兵衛ヶ瀬の碑」。
関門海峡は狭い場所で約650m程、
そこに1日約510隻の船が行き交い、
多くの船舶が通行していますが、
やはり現在も海運の難所でとのこと。
現在は浅瀬の除去、信号やブイの設置、
浚渫工事等で安全が保たれていますが、
昔はもっと危険な海峡でした。
その最大の難所が与次兵衛ヶ瀬… 続きを読む
清虚は国東半島の伊美村に生まれ、
太兵衛という指物師であったという。
ある日、草相撲で友人と対戦しますが、
打ち所が悪かったのか死なせてしまい、
これを悔やんで供養の為に各地を巡礼。
後に仏門に入って清虚と名乗りました。
清虚は高野山で修行を行おうと、
下関… 続きを読む
英国技術者リチャード・ブラントンは、
明治初期の日本に多くの灯台を建てており、
下関にも六連灯台や角島灯台等、
現存する石造りの灯台を建てています。
そのブラントンが建てたという灯台が、
門司の部埼に現存しているというので、… 続きを読む
旧俎礁標は明治4年に設置された礁標で、
灯台技術者R.H.ブラントンが設計し、
海峡の岩礁を示していたもの。
当時は約6mの石塔が黒白で塗り分けられ、
頂部の球が据えられたものでしたが、
明治23年に昼夜灯の挂灯立標に改修され、
後に岩礁と共に撤去されて、
現在地に移転されて灯台となりました。
これが金ノ弦岬灯台で、… 続きを読む
2人目が生まれたばっかりなので、
嫁さんはずっと赤ちゃんにつきっきり。
今年はみよちゃんをどこにも連れて行けず、
弟家族と一緒にせめて海水浴にでもと、
土井ヶ浜海水浴場へ連れて行きました。
最近気に入ってるポーズらしいのですが、
顔が隠れてしまうので困りもの。
白砂と透き通る海をバックにしながら、
顔が隠れているという。
早くこのポーズ飽きてくれたらいいに。
せっかく土井ヶ浜まで来たんだから、
角島大橋まで行ってみます。
角島大橋は「… 続きを読む