福岡県北九州市 神理教本院

神理教神道十三派の一派で、
復古神道系に分類される古神道
教祖佐野経彦が家伝の巫部神道を復興し、
明治13年に神道事務局より認可を受け、
神理教会として開設され、
明治17年に神理教に改称しています。


神理教大教庁」。
小倉南区徳力に本院を置き、
全国に121の教会と15の布教所を展開。
モノレール徳力嵐山駅からほど近く。
一風変わった正門に驚きますが、
境内は普通の神社と殆ど代わりません。


神代文字」。
教祖の父佐野経勝の国学の師栄名井広聡が、
巫部家の伝書を読み、
三種之神器の神徳の意を楎毫したもの。
真実、真澄、真直の神代文字という。

参道脇には保育園等があって賑やか。
石段上の鳥居をくぐって本殿へ。

大教殿」。
本殿である大教殿は大正8年の建築。
建築当時は教派神道で最大規模とのこと。
外観は普通の神社というより仏殿風。

境内を出て隣の徳力山という小山へ。
この山に教祖の奥津城があります。

巫部家奥津城」。
幕府寺請制度により公に神葬祭が出来ず、
明治初期に巫部(佐野)家の墓所を整理し、
ここに神葬式に改葬しています。
明治13年の開教当時は小屋が建ち、
井戸のある修行場だったという。


教祖明星大神」。
教祖佐野経彦の奥津城。
神道家佐野経勝の長男として生まれ、
医学や国学を学びました。
父に家伝の巫部神道を伝えられ、
以後は神道復興を志して活動を開始。
明治9年に御神告を受け、
明治13年に神理教会を設立し、
布教活動を続けると共に、
三百冊の著書と二万首の歌を残しました。

教派神道に関しては勉強不足。
現時点でどうこうは言えません。
今回は普通の神社として参拝し、
普通に記事にしています。

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