博多宿は博多川と御笠川の間の宿場で、
商人の町である博多の一部でした。
博多区呉服町周辺。緑の線が街道筋。
宿場は街道筋の北側に伸びており、
大規模な遊郭もあったようです。
「石堂橋」。
御笠川に架かる石堂橋が東の入り口。
橋名は橋の北側にあるの石堂地蔵から。
橋を渡る前に濡衣塚へ。
「濡衣塚」。
聖武天皇の時代に筑前国国司佐野近世が、
妻と娘の春姫を連れて赴任しますが、
在任中に妻が亡くなった為、
地元の娘を後妻として迎えたという。
その後に一女を授かっていますが、
後妻は春姫が疎ましく感じるようになり、
漁師に頼んで、
「春姫様が釣り衣を盗むので困っている」
と訴えさせました。
後妻は眠っている春姫に、
そっと濡れた釣り衣を着せて、
春姫の寝室に近世を呼び出します。
濡れた釣り衣を着て眠る春姫を見て、
激怒した近世は春姫を殺してしまいました。
しかし夢枕に無実を訴える春姫が現れ、
事実を知った近世は後悔して出家。
この碑を建立したという。
それ以降「無実の罪を負わされる」の意で、
濡れ衣という言葉が使われるようになり、
その語源となっています。
石堂橋を渡って博多宿跡へ。
「博多宿跡」。
古い宿場町を思わせる建物は寺院程度。
空襲で面影は完全に焼失しており、
現在は完全に更新されています。
勿論市街地ですので空襲がなくても、
面影は無くなっていた事でしょう。
■唐津街道の宿場町
■関連記事■
・福岡県福岡市 福岡宿跡
唐津街道の9番目の宿場町。
・福岡県福岡市 箱崎宿跡
唐津街道の7番目の宿場町。
・福岡県福岡市 姪浜宿跡
唐津街道の10番目の宿場町。