福岡県福岡市 博多宿跡

博多宿博多川御笠川の間の宿場で、
商人の町である博多の一部でした。


博多区呉服町周辺。緑の線が街道筋。
宿場は街道筋の北側に伸びており、
大規模な遊郭だった柳町もありました。


石堂橋」。
御笠川に架かる石堂橋が東の入り口。
橋を渡った先に関所がありました。
橋名は橋の北側にあるの石堂地蔵から。

橋を渡る前に濡衣塚へ。

濡衣塚」。
聖武天皇の時代に筑前国国司佐野近世が、
妻と娘の春姫を連れて赴任しますが、
在任中に妻が亡くなった為、
地元の娘を後妻として迎えたという。
その後に一女を授かっていますが、
後妻は春姫が疎ましく感じるようになり、
漁師に頼んで、
春姫様が釣り衣を盗むので困っている
と訴えさせました。
後妻は眠っている春姫に、
そっと濡れた釣り衣を着せて、
春姫の寝室に近世を呼び出します。
濡れた釣り衣を着て眠る春姫を見て、
激怒した近世は春姫を殺してしまいました。
しかし夢枕に無実を訴える春姫が現れ、
事実を知った近世は後悔して出家。
この碑を建立したという。
それ以降「無実の罪を負わされる」の意で、
濡れ衣という言葉が使われるようになり、
その語源となっています。

石堂橋を渡って博多宿跡へ。

博多宿跡」。
古い宿場町を思わせる建物は寺院程度。
空襲で面影は完全に焼失しており、
現在は完全に更新されています。
勿論市街地ですので空襲がなくても、
面影はなくなっていた事でしょう。

元治元年11月。
高杉晋作は潜伏していた平尾山荘から、
御笠川東岸の新茶屋に移動。
若松屋月形洗蔵らを待ちますが、
晋作は待ちくたびれた末に思い立ち、
見世の幼い女の子を背負うと、
若松屋印の提灯を瀬口三兵衛に持たせ、
遊郭への集金に行く風を装い、
石堂橋を渡って関所を通り抜けました。
そしてそのまま海元寺の角を右折し、
400m北上して柳町の大門を通り、
梅ヶ枝屋で同志らを待ったという。
遅れて来た月形ら同志と合流すると、
裏口から御笠川沿いに海岸に出て、
浜沿いを走って対馬藩邸に入りました。
晋作はその数日後に長州へ戻っており、
12月15日に功山寺で挙兵しています。

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