箱崎宿は唐津街道の宿場町で、
箱崎宮の門前町ともなっていました。
古くは日宋貿易の拠点となって、
唐房が形成されていたという。
東区筥崎周辺。緑の線が街道筋で、
青い線は参道及び御茶屋への道。
青でぼかした辺りが箱崎宿跡。
「筥崎宮」。
筑前国一之宮。
福岡藩主が参勤交代で江戸へ向かう際は、
福岡城から箱崎宿までは威厳を示す為、
正装して大名行列を行い、
箱崎宿で旅装束に着替えてから、
旅の安全祈願に筥崎宮に参拝して、
江戸を目指したという。
また江戸からの帰国の際には、
旅装束で箱崎宿まで辿り着き、
正装に着替えて城下に入ったようです。
その際には国家老や重臣、
御目見えを許された町民が箱崎宿に集まり、
藩主の帰国を出迎えたとのこと。
※箱崎宮については別記事とします。
「箱崎宿跡」。
一之鳥居より北側からが箱崎宿。
小規模な商店が軒を連ねている他、
マンション等が建てられており、
開発されて古い町屋は殆どありません。
数少ないながらも残る町家。
建物の由緒はわかりませんが、
現在は都市デザインの会社となっています。
街道沿いには御茶屋はなく、
少し海側へ外れた場所にありました。
「旧御茶屋跡之碑」。
跡碑は網屋天満宮境内の角ですが、
実際は道路向かいの北側にありました。
福岡藩主の装束変更、船での参勤の風待ち、
他藩主や要人の宿舎に使用されています。
基本的に唐津街道は福岡藩主の他には、
唐津藩主しか大名は利用しませんが、
文政8年(1825)に薩摩藩の島津斉興が、
内宿通りを通行してからは、
諸大名も唐津街道を通行するようになり、
箱崎御茶屋の利用は増したという。
その他に五卿の応接も行われており、
勝海舟やグラバーも宿泊しています。
街道筋に戻り北上。
九大正門入口交差点で右折します。
「唐津街道箱崎宿東構口跡」。
筥松郵便局のある辺りが東構口跡。
宿場の西端は筥崎宮前なので、
西樋口は無かった模様です。
■唐津街道の宿場町
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