庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である酒井吉之丞家もそのひとつ。
「故荘内太夫酒井了恒君塋髪」。
鬼玄蕃と恐れられた酒井玄蕃了恒の遺髪墓。
慶応3年に酒井吉之丞家の11代となり、
戊辰戦争で二番大隊大隊長に就任し、
破軍星旗を軍旗として秋田戦争で活躍。
新庄城、横手城を陥落させるなど、
秋田方面で快勝を続けますが、
同盟軍の瓦解の情報を得て撤退しました。
廃藩置県後は兵部省に出仕し、
後に密命を得て清国を偵察。
直隷経略論で対支戦略を具申しますが、
明治9年に肺病を患い死去。
遺体は谷中霊園に葬られており、
遺髪がここに納められました。
「故荘内太夫酒井了明君墓」。
酒井玄蕃の父で10代当主酒井了明の墓。
兄より酒井吉之丞家の家督を譲られますが、
その兄酒井右京了繁は藩主廃立を企て、
老中阿部正弘や稲葉正邦に陳情書を提出。
これが発覚した為に丁卯の大獄が起こり、
了繁は捕縛されて切腹となり、
連座して了明は免職させられ。
減封のうえ隠居処分となりました。
了明の子は上記の長男酒井了恒の他に、
庄内柿の父となる次男酒井調良、
書道家の三男黒崎研堂、
鶴岡幼稚園創始者の長女白井久井がいます。
周辺には他の代の当主の墓もある模様。
資料がないので紹介は出来ませんが・・
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