牛津宿は長崎街道の13番目の宿場。
米や物資が牛津川の水運で集められ、
水運業者、荷受問屋、卸問屋等が軒を連ね、
西の浪花と称された程栄えていたという。
小城市牛津周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが牛津宿跡。
西側より散策。
「野田家跡」。
質屋を営んでいた野田家の宅跡。
建物は更新されていますが、
商売の神である恵比寿象が軒先に残ります。
ここの主人らの日記が現存しているようで、
3代に亘り帳場から街道を通る人々を眺め、
その様子が細かく記されているという。
この野田家日記は読んだ事はありませんが、
象やカピタンの参府の様子も記され、
大変貴重な資料となっているようです。
「牛津宿跡(西町)」。
殆どの家は更新されていますが、
トタン茅葺の民家が少し残っています。
牛津川に近いこの辺りは、
特に賑わっていたという。
街道は牛津江川を渡って続きますが、
JR牛津駅等があって面影は無く、
線路も横切って道も変わっています。
道は乙宮社で南に折れますが、
少し街道から外れて赤レンガ館へ。
「赤レンガ館」。
田中丸商店の倉庫だった赤レンガ倉庫。
初代田中丸善蔵が荒物店田中丸商店を創業し、
その後に佐世保や福岡に進出して、
最盛期には6つの百貨店を経営しました。
※現在は佐世保と佐賀に2店舗。
この倉庫は市営の貸スペースとなっています。
牛津宿の中央付近は枡形となっており、
上記したように乙宮社で南に折れて、
更に牛津高等学校前で東に折れています。
この辺りが牛津宿の中心でした。
「上使屋跡(本町公民館)」。
本陣となっていた小城藩営の宿泊施設跡。
現在は小さな公民館が建てられています。
「札の辻跡」。
小城藩の設置した高札場があった場所で、
牛津高等学校の校門前辺りに、
北向きに掲げられていたようです。
街道はここから東へ。
少し進んで天満町交差点へ。
北側に正満寺があります。
「正満寺石門」。
中林悟竹の書が刻まれた石門。
東柱に閉塞諸悪道、
西柱に通達善趣門と刻まれています。
「正満寺本堂」。
正満寺は真宗本願寺派の寺院で、
牛津宿の脇本陣に指定されていました。
シーボルトは江戸参府の際、
牛津の寺で昼食をとったようで、
この寺は正満寺の可能性が高いという。
また帰路は牛津の寺に宿泊しており、
これも正満寺ではないかとのこと。
更に街道は続きますが、
どこまでが牛津宿だったか不明ですが、
国道と交わる辺りかと思われます。
■長崎街道の宿場町
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