東京都台東区 谷中霊園/須坂藩奥田家墓所

谷中霊園に2度目の訪問。
今回も集中して巡っていきたいと思います。

まずは須坂藩奥田(堀)家墓所
須坂藩堀家廃藩置県後に奥田姓に改称。

須坂藩十一代藩主 正五位 奥田直格」。
須坂藩11代藩主(奥田)直格の墓。
黒御影石の新しい墓石ですが、
建て直されたものなのでしょうか?
堀直格は9代堀直皓の三男に生まれ、
兄の10代堀直興の死去で家督を相続。
24年の藩主在任の後に隠居し、
弘化2年に家督を長男堀直武に譲りました。
隠居後は歌人黒川春村ら文人と親交し、
共に学問の考究に没頭。
扶桑名画伝などを編纂してます。
明治10年に14代堀直明と共に、
奥田姓に改姓しており、
明治13年に死去しました。

12代直武は16年の治世の後、
32歳で死去。
13代堀直虎大番頭等を経て、
若年寄外国総奉行に任じられますが、
慶応4年1月17日に江戸城内で自害。
大坂から戻った徳川慶喜に恭順を勧め、
受け入れられす諫死したと報告され、
実弟の直明に家督相続が許されています。
直武の墓は須坂市の臥龍公園にあり、
直虎の墓は港区赤坂の種徳寺
※直虎の墓は臥龍公園にもあります。


正五位勲四等子爵奥田直明之墓」。
14代藩主堀(奥田)直明の墓。
11代直格の六男として生まれ、
異母兄直虎が自害した為に家督を相続。
早々に新政府に恭順して兵を派遣し、
戦後は賞典禄5000石を下賜されています。
明治10年に奥田姓に改姓し、
明治17年に子爵となりますが、
その翌年に死去しました。

須坂藩堀家、村松藩堀家椎谷藩堀家は、
何れも堀秀政の家老堀直政の庶流。
彼は秀政(子孫は飯田藩堀家)から、
堀姓を与えられて堀を名乗っており、
元々の姓は奥田姓でした。
この3家は明治期に奥田姓に復姓。
3家共に子爵家となっています。

墓所は谷中霊園の甲8号22

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