細島湊は古くからの交易港で、
薩摩や大隅方面と瀬戸内を行き交う船が、
寄港する中継地として栄えた港町。
美々津湊と共に外国船の船も寄港し、
更に倭寇も利用していたとされます。
日向市細島港周辺。
江戸初期は延岡藩領でしたが、
元禄5年(1692)はから天領に代わっており、
少し内陸の富高に代官所が置かれ、
西国筋郡代の支配となりました。
飫肥藩、高鍋藩、佐土原藩、薩摩藩等、
参勤で海路を使用する際は、
この湊を使用する事が多かったようで、
各大名が本陣に指定した宿には、
飫肥屋、高鍋屋、薩摩屋等、
その領国の屋号を名乗っていたようです。
「細島港」。
重要港湾に指定される港則法上の特定港。
古くからの入江にある細島商業港(漁港)と、
半島を越えた北側の細島工業港で構成され、
これが在の細島港となっています。
西南戦争では官軍の艦船が次々に上陸し、
富高新町が激戦地となりました。
「細島の街並み」。
細島港の南に伸びる住宅地には、
往時の面影を残す雰囲気ある街並み。
「旧摂津屋善兵衛宅」。
廻船問屋を営んだ摂津屋の屋敷で、
西南戦争で有栖川宮熾仁親王が本陣とし、
約1ヶ月滞在した場所。
熾仁親王が愛用した高下駄や、
扁額などが残されているとのこと。
■関連記事■
・宮崎県日向市 富高代官所陣屋跡
細島港を支配した天領代官所跡。
・宮城県日向市 美々津湊
同じく貿易港として栄えた高鍋藩の港。