大分県別府市 明礬温泉

別府の大部分は天領だったようですが、
一部森藩久留島家領もありました。
これが明礬温泉のある旧速見郡鶴見村で、
森藩の飛地領であったようです。

寛文4年(1664)にこの鶴見村の照湯で、
渡辺五郎右衛門が明礬製造に成功。
寛文6年(1666)には更に高地にて、
本格的な明礬生産を開始しました。
これが現在の明礬温泉の地ですが、
中華から安価な明礬が輸入された為、
これに対抗できず事業は放棄されます。

後の享保10年(1725)。
日出小浦村の庄屋であった脇儀助は、
明礬生産を復活させる為に幕府に訴え、
中国産明礬の輸入禁止措置を勝ち取り、
明礬温泉での明礬生産を再開。
やがて全国30%強の産出するようになり、
これが森藩の重要な財源となりました。


明礬温泉の地熱地帯」。
明礬温泉は伽藍岳中腹にあり、
急傾斜の地熱地帯に石垣が築かれています。
往時はこの石垣の上に湯の花小屋が建ち、
独特の景観であったという。
現在も数棟の湯の花小屋が建っています。


湯の花小屋」。
再現された湯の花小屋。
明礬温泉での明礬製造は、
湯の花小屋と呼ばれる藁葺小屋の中に、
青粘土を敷き詰めて析出させる方法。
この方法で製造される薬用湯の花は、
全国で唯一医薬部外品指定とのこと。


湯の花小屋内部」。
明礬地獄では内部も見学出来ます。
経営する岡本屋の祖先は山奉行岩瀬正網
以降も代々山奉行を務めていますが、
維新後の当主である岩瀬保彦は、
明礬を湯の花名付けて入浴剤として販売。
これが全国的に広がったようで、
現在も湯の花の採取が行われています。

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