「浜田城炎ゆ」小寺雅夫

浜田城炎ゆ」という本を読みました。
浜田藩石州戦争において、
大村益次郎率いる長州勢に攻められ、
居城の浜田城を自焼させて飛地に退却し、
自領が長州藩に占領された悲劇の藩です。

石州戦争は大村が総司令官として指揮し、
その戦いぶりがクローズアップされますが、
やはり敗者にも物語があります。
筆者の小寺雅夫浜田市出身の作家。
浜田に関する本を多く書いておられます。
下関で言えば古川薫みたいな人ですね。

さて最後の浜田藩主松平武聰は、
水戸の烈公徳川斉昭の10男。
浜田城を焼いて逃げた事から、
暗君のイメージがありますが、
どうもなかなかの君主らしいです。
財政難に苦しむ藩を殖産事業で建て直し、
更に余裕を生む状況にまで持っていく。

また佐幕派と思いきや、
徳川斉昭の子ですので尊皇思考を持ち、
幕府に意見書を提出したりしています。
幕府の政策を批判し幕政への参加を固辞。
四ヵ国連合艦隊の下関砲撃に際しては、
見舞の使者を送り兵の派遣も検討しました。
第一次長州征伐も寛大な処分を求めています。

しかし武聰は身内の相次ぐ不幸脚気から、
病に伏してしまったようで、
石州戦争では指揮の出来ない状況に陥る。
統率の取れない諸藩兵と、
策略乏しい重臣の無能さゆえに惨敗。
長州藩の勧告状の返事もできない程、
藩内は混乱していました。
挙句に城を自焼させる下策を取る事となり、
領地を追われ飛地に落ちてしまいます。

残念なのは浜田藩以外の情報に、
誤りが何点かあった事。
とはいえこの本の趣旨に何ら影響はなく、
それ程の影響のある事ではありません。
この本の良さは石州戦争についてではなく、
浜田藩の財政とその改革方法、
殖産興業や特産品、文化や学問、
隣国長州藩との関係、
その他の浜田藩の内情がこと細かく記載され、
幕末の中藩(しかも親藩)の事情が、
かなり細かく知れる事です。
長州藩の隣国であった為に壊滅させられ、
6万石から8000石になり、
藩主以下全て仮住まいという悲惨な藩。

考えてみれば幕末史において、
一番先に壊滅的状態に陥った藩は、
この浜田藩なんですよね。

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