善性寺は東日暮里にある日蓮宗寺院で、
尊重院日嘉の開山とされています。
6代将軍徳川家宣の生母長昌院が、
この善性寺に葬られた事から、
将軍家所縁の寺となったという。
長昌院は落飾前は於保良と呼ばれ、
松坂局の侍女として大奥に入りましたが、… 続きを読む
東京都荒川区 善性寺/越智松平家墓所
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善性寺は東日暮里にある日蓮宗寺院で、
尊重院日嘉の開山とされています。
6代将軍徳川家宣の生母長昌院が、
この善性寺に葬られた事から、
将軍家所縁の寺となったという。
長昌院は落飾前は於保良と呼ばれ、
松坂局の侍女として大奥に入りましたが、… 続きを読む
妙義寺は益田市にある曹洞宗の寺院で、
文永年間(1264-1275)の創建とされ、
始めは臨済宗の寺院であったという。
応永元年(1394)に益田家13代益田秀兼が、
寺領370余石を寄進し曹洞宗に改宗。
弘治年間(1555-1558)には19代益田藤兼が、
大寧寺14世繁興存栄… 続きを読む
医光寺の前身は天台宗寺院の崇観寺で、
南北朝時代の創建とされており、
元々の医光寺はその塔頭であったという。
崇観寺は益田家に庇護されていましたが、
戦国時代の戦火で荒廃してしまい、
後に益田家17代益田宗兼が医光寺を再建。
崇観寺の継承寺院にしたようですが、… 続きを読む
萬福寺は平安時代の創建とされており、
安福寺と称した天台宗の寺院でしたが、
鎌倉時代に廃れていたものを、
遊行上人4世呑海が再興して道場としました。
その後に領主益田兼見が現在地に移築し、
萬福寺と改称しています。
※墓地には兼見の墓もあります。
「… 続きを読む
益田は豪族益田氏の本拠として発展し、
江戸時代はその大半が浜田藩領でした。
益田氏は石見守護藤原国兼を祖とし、
はじめ浜田御神本を拠点とした為、
御神本氏を称していましたが、
4代兼高が益田に拠点を移し、
以後は益田氏を名乗り、
石見国西部に領地を広げます。
後に守護大名… 続きを読む