石州戦争(石州口の戦い)②

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益田での敗戦後に征長軍は数度の軍議を開き、
陣容の立て直しを図ります。
先鋒総督名代安藤直裕率いる和歌山藩兵は、
周布村聖徳寺を本陣として周囲に兵を展開。
浜田藩兵大麻山に陣を敷き、
福山藩兵松江藩兵はその北麗雲雀山や、
周布川内側の内田村に布陣しました。

益田の戦い後の長州藩は占領地掌握を優先。
約1ヶ月間戦闘は行われず、
7月5日に長州藩兵は兵を移動させ、
三隅や内陸の嶺村に着陣しています。


大麻山の戦い 両軍の布陣

7月13日
嶺村の長州藩兵は周布川に沿って進み、
南園隊および第二大隊の2中隊。
内田村の征長軍を対岸より攻撃し、
夕刻に撤退。

7月15日
嶺村の長州藩兵は再度周布川に沿って進み、
内田村の征長軍を対岸より攻撃。
同時に長州藩兵の主力は大麻山を攻撃し、
尊勝寺を本陣とする浜田藩兵を敗走させます。
浜田藩兵は雲雀山の松江、福山両藩と合流。
長州藩兵は大麻山で夜営。


7月15日の戦闘

7月16日。長州藩兵は雲雀山を攻撃し、
浜田、松江、福山3藩を敗走させ、
和歌山藩兵も撤退して浜田城下を経て、
幕府領石見銀山まで撤退しています。


7月16日の戦闘

この日、浜田城から止戦の使者が遣わされ、
周布村でその交渉が行われ、
翌日に浜田藩家老の出席により、
再度交渉が行われる事となりました。

7月17日
浜田藩中老久松覚右衛門が出席し、
長州藩軍参謀杉孫三郎が応接。
杉は浜田城下の諸藩兵の退去および、
浜田藩の趣意書の提出を求めて、
その返答期限を18日午前四ッ半とします。
浜田藩では軍議が開かれ、
止戦か抗戦かが議論されますが、
諸藩軍は既に退去しており、
籠城しての防戦は不可能と抗戦派も判断し、
浜田城を自焼させて一旦松江藩に身を寄せ、
再起を図る事が決定されました。

以上で石州戦争(石州口の戦い)の戦闘は終了。
浜田藩は松江を経て飛地の鶴田へ移動します。
これについては以下の記事で。
浜田城自焼後の浜田藩①

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