佐敷宿は薩摩街道の宿場町で、
加藤清正の改修した佐敷城の城下町が、
※花岡城とも呼ばれています。
佐敷城の廃城後に宿場町として発展。
薩摩藩との国境も近い事から、
熊本藩の番頭(番代)が派遣され、
25人程度の藩士が防備の為に在勤し、
警備にあたっていたようです。
芦北町佐敷周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが佐敷宿跡。
「薩摩街道佐敷宿回遊之図」。
現地案内板より。
こういう分かり易い地図があると、
散策には非常に助かります。
「佐敷宿跡」。
街道筋には往時の建物が残っており、
また残そうという雰囲気も感じられます。
それ程大きな宿場ではありませんが、
歩いていて楽しい通り。
「社会教育センター(御番頭役宅跡)」。
佐敷には熊本藩の番頭が派遣されており、
役宅が佐敷城跡の麓に建てられ、
御茶屋を兼ねていたとのこと。
薩摩藩との国境警備の拠点であり、
藩主の御茶屋にも使用された事から、
役宅ながら立派であった模様です。
周辺には在勤藩士の屋敷も建ち並び、
小城下町のようであったとのこと。
「日本一の大瓦」。
天下泰平國土安穏の銘がある鬼瓦が、
佐敷城の学術調査で出土したようで、
文字のみの鬼瓦は全国的にも大変珍しく、
これを記念して造られたもの。
瓦としては日本一の大きさ。
佐敷宿は人吉街道との合流地点でもあり、
交通の要所としても発展したようで、
流通の拠点として商家が軒を連ね、
賑わった場所であったとされています。
■薩摩街道の宿場町
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