日奈久宿は薩摩街道の宿場町で、
古くからの温泉地でもありました。
日奈久温泉周辺。緑の線が街道筋で、
悪くぼかした辺りが日奈久宿跡。
北側より散策。
「上構口跡」。
日奈久宿の北側の入口。
古図によれば柵が設けられて、
脇に御番所が置かれていました。
「高田焼上野窯」。
朝鮮出兵の際に渡来した陶工尊楷が、
細川忠興の小倉藩入封の際に招かれ、
豊前国上野釜の口に開窯。
その後の細川家の熊本藩転封に伴い、
八代郡高田村奈良木に開窯し、
代々細川家御用焼となっています。
明治25年に陶土の産地日奈久に移り、
現在も伝統技法で作陶しているとのこと。
古い家屋は少ないながら、
狭い道は往時の街道らしき雰囲気。
「竹嵜家住宅」。
数少ない日奈久の町家で、
平安時代から伝わる蔀戸が現存しています。
※盤目の格子裏に板を張り、
上端を軸として吊り下げる建具。
更に出桁を支える持ち送りには、
丁寧な彫刻が施されているという。
「村津家住宅」。
往時の状態を綺麗に残すなまこ壁。
商家である事から火災で延焼を防ぐ為、
濡れたムシロを掛けるL字釘が、
外壁に取り付けられています。
中央に行くと店舗が増えますが、
細い道幅は変わらず。
「温泉センター ばんぺいの湯」。
熊本藩の藩営温泉御前湯だった温泉場で、
明治からは日奈久温泉本湯、
昭和42年から温泉センターとなり、
平成21年にばんぺいの湯として、
リニューアルしています。
「温泉発見の由来碑」。
温泉を発見した六郎左衛門像と、
温泉発見の由来を刻んだ碑。
応永16年(1409)に少年浜田六郎左衛門は、
負傷した父浜田右近の平癒を願い、
厳島明神に祈り続けていました。
満願の日に神のお告げがあり、
そのお告げに従って海の浅瀬を掘ると、
温泉の湯が湧き出てきたので、
その湯に父を入れて傷を治したという。
この為に親孝行の湯とも呼ばれます。
「金波楼」。
街道沿いに大きな駐車場があり、
その先に巨大な建物があると思ったら、
これが有名な金波楼でした。
千と千尋の神隠しっぽいとバズり、
非常に人気の宿だという。
金波楼の表側。
街道沿いの駐車場は裏側で、
北側が玄関のようです。
この他にも温泉旅館が沢山ありますが、
街道より北側が温泉街となっています。
更に街道筋を進むと住宅地となり、
その先で国道3号線に合流します。
■薩摩街道の宿場町
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