扇田の米代川左岸杉林にある扇田神明社。
盛岡藩の大館侵攻の際に激戦地となり、
多くの死傷者を出したようです。
「扇田神明社」。
杉林が神聖な雰囲気を醸し出す神域。
文治年間(1185~90)の創建とされ、
主祭神は天照大神とのことで、
江戸期以前は伊勢堂と称していました。
「社殿」。
戊辰戦争で社殿は焼失しており、
現在の社殿は明治7年再建のもの。
扇田村の女達は雨乞いの為、
境内で女相撲を取っていたようで、
3~40代の女性が裸になって、
土で化粧して相撲を取ったという。
これにより神域を汚された神様が、
怒って雨を降らせたとされており、
昭和30年頃まで行われたとのこと。
「忠魂碑」。
境内にある忠魂碑。
忠魂碑は大戦時のものが多く、
記事にする事は少ないのですが、
この忠魂碑は戊辰戦争からのもの。
書は陸軍中将立見尚文によるものですが、
彼は雷神隊を率い新政府軍と戦った人物。
久保田藩にとってはかつての敵でした。
碑の台座にある戦死者名簿。
以下の27名が戊辰の役の戦死者です。
加賀一、大坂良助、千葉勝二郎、
山城ミヨ、明石左門、長岐三平、明石武一、
明石熊之助、土田正策、山脇五郎、松浦明、
高山新兵エ、高橋利吉、田村重男、
金谷守正、小西祖憲、吉原爲友、西宮正男、
木村廣治、羽澤半蔵、神威宇太郎、
才川重益、安藤政五郎、金澤与一郎、
柳館繁治、金谷富太郎、佐藤申一。
これらは扇田地区の戦死者のようです。
十二所を占領した盛岡勢は、
8/11に扇田まで進軍しており、
扇田神明社の境内に宿営しました。
撤退して早口村にいた久保田勢は、
これを聞いて夜襲を行いますが、
撃退されて夜の明けきらぬ間に撤退。
この戦いで双方死傷者を出しています。
盛岡勢はその後大館城を攻略し、
久保田城まで進軍しますが、
佐賀藩の援軍の到着により形勢は逆転。
撤退して再び扇田に入った盛岡勢は、
全村を焼き打ちしました。
現在も杉林から弾丸が発見されるらしく、
激戦地であった事が伺い知れます。
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