鳳林寺にある六浦藩米倉家の墓所。
「米倉寺殿無常道心居士」。
米倉丹後守種継の墓。
米倉家は甲斐武田家の家臣で、
武川衆と呼ばれた一族のひとつ。
父の米倉信継は長篠の戦いで戦死しており、
家督は兄の米倉忠継が相続しました。
忠継は武田家滅亡後は徳川家康に仕え、
天正壬午の乱等で活躍しましたが、
慶長4年(1599)に死去しています。
種継は兄忠継の跡を継ぎ、
大坂の陣後に城下町の復興を命じられ、
その奉行を務めたとされており、
鳳林寺の復興にも尽力しました。
「蔵林寺殿従五位下
前丹州太守徳石道明大居士」。
六浦藩米倉家初代当主、
皆川藩初代藩主米倉昌尹の墓。
昌尹は種継の孫米倉昌純の長男に生まれ、
米倉家の家督を相続しました。
知行600石から順調に出世して1万石を越え、
諸候に列して大名となっており、
更に5000石加増されて1万5000石となり、
皆川藩を立藩しました。
「特峯院殿従五位下
前丹州刺史大機宗俊大居士」。
六浦藩米倉家3代当主、
皆川藩3代藩主米倉昌照の墓。
2代藩主米倉昌明の次男とし手生まれ、
父の死去に伴い家督を相続します。
正徳元年(1711)に大坂城守衛に任じられ、
大阪に赴任していますが、
翌正徳2年(1712)に大坂で死去しました。
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六浦藩米倉家の陣屋跡。