滋賀県高島市 河原市宿跡

河原市宿は古くからの宿駅だったとされ、
その初見は[宋雅道すがら之記]で、
応永34年(1427)に飛鳥井雅縁が、
越前国に赴く際の道中で立ち寄り、
しばらく過ごした旨が記されています。
江戸時代には大溝藩領だったようで、
西近江路の宿駅に指定されますが、
琵琶湖の湖岸から離れていた為、
陸運の要衝となっていました。


高島市新旭町周辺。緑の線が西近江路で、
青くぼかした辺りが河原市宿。

南側から散策。

河原市一里塚跡」。
西近江路の一里塚があった場所。
高島市内には7ヶ所あったとされますが、
場所が特定している唯一のものとのこと。


一里塚跡より北上。
狭い路地に古い家も多少ある模様。


少し行くと道は左に折れますが、
水路があって往時の面影も感じられます。


県道294号に街道は合流。
土蔵も残っていましたが、
宿駅の面影はそれ程感じられません。


馬方又左衛門宅址」。
馬方を担当した中西又左衛門の宅跡。
安井川交差点の西側にあります。
加賀藩飛脚が大金を京屋敷に運ぶ際、
七里離れた和邇宿まで馬に乗せますが、
和邇宿で飛脚を降ろして帰って来ると、
馬蔵に大金が残っているのを発見。
又左衛門は疲れているのも厭わず、
困っているだろうと引き返し、
飛脚が宿泊する宿に大金を届けました。
又左衛門の誠実さは人々に感銘を与え、
今も語り継がれているようです。

■西近江路の宿場町

■関連記事■
滋賀県高島市 今津宿跡
 西近江路の宿場町。
滋賀県高島市 海津宿跡/海津湊
 西近江路の宿場町。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です