滋賀県高島市 海津宿跡/海津湊

前記事の正行院があるマキノ町
滋賀県高島市の北東部の町名ですが、
ひらがなの地名というのは結構ありますが、
カタカナの地名というのはあまりない。


マキノ駅」。
地名に比べてカタカナ駅名は意外にある。
〇〇センター駅や〇〇パーク前駅など、
東京などの都会では沢山あります。
しかし琵琶湖西岸の鈍行駅で、
センターやパークなどの外来語ではなく、
牧野、槙野、真木野、真喜野など、
どう考えても漢字由来と感じる「マキノ」。
他所から来た人間には違和感です。

真相をネットで調べると、
マキノ高原スキー場というスキー場があり、
周辺地域で知られていたようで、
町名はそのスキー場から付けられたという。

そのマキノ町の一部である海津は、
江戸時代前期~中期は天領でしたが、
寛文8年(1668)にそのうちの僅か172石が、
希望により加賀藩に与えられ、
湖上輸送の中継地点となっていました。
その後、享保の改革による甲斐国天領化政策で、
甲府藩柳沢家郡山藩に移封。
その飛地として海津周辺1万3千石が、
郡山藩柳沢家に与えられていますが、
加賀藩の172石はそのまま維持しており、
全石高の僅か0.02%弱のこの地が、
加賀藩にとって重要な地であったようです。


海津浜」。
古来より日本海側の物産が、
ここからに乗せられて大津で陸揚げされ、
京都や大坂に運ばれたという。
港町で育った僕は海岸は珍しくありませんが、
湖岸というのは似ているようで非なるもの。
前記事の正行院に向かう際には、
道を通らずあえて歩きづらい砂浜を歩きました。


桟橋跡」。
明治3年には琵琶湖に蒸気船が走るようになり、
大津ー海津間の定期航路が開かれたようです。
この杭はその桟橋のあった跡。
戦前戦後にはスキー客が沢山やってきて、
大変な賑わいをみせていたようですが、
バス鉄道などの陸路の発達によって、
海路は次第に衰退していったようです。


石積」。
風波の度に村家に被害があった為、
幕府代官西与一左衛門が築いたとされる石積
また加賀藩もその一部を築いているようで、
金沢城の石垣を組んだ穴太衆も、
この石積に携わっていたようです。


海津の街並み」。
海津は西近江路宿場町でもあり、
湖路と陸路の両方の要所でした。
それ故に初期の幕府が天領とし、
その一部を加賀藩が希望して欲しがり、
甲斐国の対価として選ばれたわけですね。
現在も古い建物が多く残されており、
4割が昭和30年代以前の建物という。


イケ」。
富な湧き水を利用する共同水場。
現在も美しい水を湛えています。
も設けられており、
人々の水に対する感謝の意が伝わります。

■西近江路の宿場町

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