らしゃめん伝吉①

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嘉永3年10月。
摂津の廻船「栄力丸」は荷物を江戸に届け、
帰路に浦賀で大豆、小麦、胡桃、鰯粕等を買い入れ、
志摩の大王崎まで進みます。
夜半より雨風が激しくなり、船は西の方角に流されました。
船員達は帆柱を捨て、髪を切って神仏に祈るしかありません。

船は嵐が去った後に東南方向に進みます。
帆柱の無い船は漂流するより仕方ありませんでしたが、
幸いにも積み込んだ積荷のおかげで食料はありました。
栄力丸は約50日もの間漂流を続けます。

漂流を続けていると、異国船らしき船が見えたので、
船員達は必死に叫んで助けをもとめました。
やがて異国船からボートが降ろされ、
漂流から53日目に船員17人全員が救助されました。

異国船は米国の「オークランド号」。
オークランド号は漂流民救助後、サンフランシスコに到着。
漂流民達は税関用船「ポーク号」に移され、
その後1年間を船上で過ごします。
生活必需品は給され、時折上陸も許されました。
漂流民達に望郷の念がつのります。

嘉永5年2月21日。
漂流民達は軍艦「セントメリー号」に移され、帰国の途につきます。
途中寄港したハワイで航行中に死亡した船頭の万蔵を葬り、
ハワイで9日間滞在した後、香港に向かいました。

香港に到着すると東インド艦隊の「サスケハナ号」に移ります。
そこから日本に帰る手段が見つかりません。
鎖国中の事でアメリカの船で日本に行っても、
帰れる保証が無かったのです。

そこで漂流民達は相談し、7名はサスケハナ号に残り、
残りの9名はシナから朝鮮を経由して日本を目指そうと計画。
しかしながら山賊が出没して9名は身包みはがされてしまい、
仕方なくサスケハナに戻り、再び漂流民達は揃います。
その後、3名が日本に帰る事をあきらめて、
サスケハナのアメリカ帰還の際にアメリカに向かいます。
残りの13名は再びサスケハナ号でシナへ向い、
シナと長崎を往復している船があると知り、
仙太郎という者を残して12名がサスケハナ号を降りる。
乍浦という港で日本行きの船に乗り込む準備をしている際、
漂流民の1人伝吉が突如出奔。
いつまで待っても帰れる機会が巡って来ないなら、
いっそこの地で永住できる場所を探したいとの事でした。
漂流民が1名減った事が、シナの役人に見つかりますが、
病死したと報告し事なき得て、
嘉永7年7月10日、漂流民達は帰国の途につきます。
伝吉を残して・・・。

つづく。
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