浜崎宿は唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。
浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。
東側より散策。
玉島川の渡し場の場所はよく判りませんが、
古い港があるのでこの辺りかと思います。
「浜崎宿跡」。
殆どの家は更新されており、
古い町屋はあまり残っていない模様。
但し店舗は屋号の付いているものが多く、
古くから商売されていると思われます。
「祇園祭子供山笠展示場」。
浜崎は祇園祭が行われる地域。
宝暦3年(1753)に網元中村屋久兵衛が、
博多祇園山笠の賑わいに感動し、
地元の祭にも是非山笠を出したいと、
私財を投じて3台の山笠を制作。
これが浜崎祇園山笠の最初とされています。
この子供山笠は半分の大きさのもので、
祭りの期間以外は常設展示してるもの。
浜崎名物[けえらん]の店。
[けえらん]は餡を餅で巻いた和菓子。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の戦勝祈願の為、
浜崎の諏訪神社に参拝した際、
地元民がこの菓子を献上したとされ、
秀吉が[勝つまで帰ぇらん]と言った事から、
[けえらん]と呼ばれるようになったとか。
お土産に買って帰りましたが、
家族に大好評でした。
「諏訪神社」。
街道沿いにある諏訪神社。
百済から誓来という鷹使いが、
大和朝廷に鷹を献上するため渡来。
朝廷から鷹を受け取る使者として、
大矢田連の娘諏訪姫が遣わされ、
鷹狩の技術を学ぶこととなります。
2人は恋愛関係となりますが、
やがて誓来の帰国が決定。
帰国の門出を祝う際に行われた鷹狩で、
鷹がマムシに絞め殺されてしまい、
誓来も鷹も失った姫は嘆き悲しみ、
その末に自害してしまいます。
これを悼んだ人々は諏訪姫を祀り、
これが諏訪神社となりました。
隣が唐津城下であった為、
本陣は置かれることなはく、
宿は旅館が6件あったのみ。
高級藩士や幕府高官等の宿泊の際には、
諏訪神社の東隣にあった瑞雲寺が、
その役目を果していたようです。
■唐津街道の宿場町
■関連記事■
・佐賀県唐津市 唐津宿跡
唐津街道の終点。
・福岡県北九州市 常盤橋と小倉宿跡
唐津街道の始点。