司馬馬遼太郎は「世に棲む日日」で、
「高杉晋作のルーツは、備後国三谿郡の「高杉城」である」
としています。
事実、高杉家が藩に提出している文書も、
初代高杉小四郎春時の生国を備後国三谿郡高杉邑としており、
父は武田某となっておます。
これとは別に「高杉城」の城主は祝氏。安芸武田氏の庶流で、
祝職を兼ねていたために祝(はふり)氏と名乗りました。
祝氏は備後三次地方を支配した江田氏の配下で、
江田氏が尼子氏に味方したために、
毛利元就に攻められることになります。
毛利軍6000名に対して、高杉城は1000名。
大軍になす術なく600名が討ち取られ陥落し、
城主の祝(武田)甲斐守貞近は滅ぼされます。
さて、高杉家初代である高杉小四郎(武田小四郎)は、
誰の子かよくわかっていない。
武田元繁の子とも、武田信春の子ともされていますが、
三谿郡高杉邑の生まれとのことから、
この祝氏武田家の出ではないかともされています。
「知波夜比古神社」。
高杉城では神事も司っており、
知波夜比古神を祀る神社も兼ねていました。
毛利元就は攻防戦の後に、
城主祝甲斐守を供養する宝篋印塔を建て、
高杉城を知波夜比古神社として再建し、
祝甲斐守の弟祝広縄を神主職に認めます。
「高杉城跡」の碑と案内板。
「知波夜比古神社 拝殿」。
江戸時代初期に焼失しましたが、その後再建され、
現在は江戸時代中期のものが残されています。
境内を囲む土塁跡。
高杉城当時の土塁がそのまま残されております。
天文22年(1553)、高杉城攻防戦の後、
武田小四郎が高杉城の城主となりました。
知波夜比古神社の神主は祝甲斐守の弟が就任しており、
高杉城主と知波夜比古神社の神主の関係が不明です。
もしかしたら神主の祝広縄が、武田小四郎の正体かも?
詳しい文献が無い以上、想像するしかありませんね。
高杉家のルーツの別説として、
同じ広島県に高杉山城があります。
どちらがルーツか?どういう関係か?
正確にはわかっていないようです。
■関連記事■
・晋作が犬を斬ったという話
出所は松陰のぼやき。
・広島県安芸高田市 安芸吉田陣屋跡
広島藩の支藩安芸吉田藩の陣屋跡。