喜入郷は喜入肝付家の私領だった地で、
石高は3625石であったという。
※肝付家は他に河辺郡内に領地があり、
合計5500石で一所持の家格。
肝付宗家は再三島津家と争っていますが、
諸流である家祖の肝付兼光は島津家に従い、
以後は代々重臣として活躍。
文禄4年(1596)に肝付兼三が入って以降、
喜入郷を支配していました。
「喜入御仮屋跡(喜入小学校)」。
喜入御仮屋跡は現在の喜入小学校の敷地。
最初肝付家は給黎城の麓を本拠としますが、
承応2(1653)にここに移転しました。
この為それまでの麓は喜入旧麓と呼ばれ、
往時の風景を今に残しています。
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