頴娃は平姓頴娃氏の領地だった地でしたが、
応永25年(1418)に島津元久に敗れ、
島津家の所有となった地域。
その後に肝付兼政に与えられており、
伴姓頴娃家を名乗って8代続きます。
その後に豊臣秀吉の九州征伐で敗れ、
島津家の領地が縮小した事に伴い、
伴姓頴娃家は谷山を経て更に西俣に移封。
頴娃は薩摩藩の直轄地となっており、
その周辺に麓集落が形成されました。
「頴娃御仮屋跡(歴史民俗資料館)」。
頴娃御仮屋跡は市立郡地区公民館や、
頴娃歴史民俗資料館の敷地。
元々は頴娃小学校辺りにありましたが、
この場所に移転したようです。
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