鹿児島県南さつま市 坊津

坊津は古代から栄えた港で、
明から[日本三津]のひとつ称され、
大陸との貿易が行われた湊でした。
遣唐使船遣明船の寄港地でもあった他、
倭寇の拠点にもなっており、
薩摩藩密貿易の拠点にもなっています。
明の兵法書「武備志」でも主要港として、
安濃津博多津と共に日本三津とされました。


坊浦」。
坊浦は坊津の4つの入江の最南に位置し、
主要な港となっていました。
町には石段石畳の坂道石垣等、
往時の町並みの遺構が多く残ります。


森吉兵衛屋敷跡」。
密貿易を行っていた森吉兵衛の屋敷跡。
内部は隠し部屋が造られており、
密貿易の商談等が行われていたという。


深浦」。
中島の東にある水深の浅い小さな入江。
古くから小型船の繁留地だったようです。
坊津八景のひとつ。
 船とめて 蓬もる露は 深浦の
  音もなぎさの 夜の雨かな

※坊津に拝流された近衛信輔の詠んだ歌。


中島」。
坊浦に突き出た小さな半島で、
日本に潜入した伊人宣教師シドッチが、
一時幽閉されていた場所とされます。
幕末には台場も建てられたようですが、
住宅地となって遺構は見当たりません。


太鼓橋」。
奥ノ院川(現大谷川)には橋がなく。
人々は石伝いに渡っていた為、
洪水の際は大変難儀をしていました。
それを見かねた豪商蒲地曾左衛門が、
享保6年(1721)に石積により架橋。
人々の生活に欠かせない橋となり、
大正5年の架け替えまで利用されました。
平成13年に移築復元されています。

坊浦の北側鵜鳴ヶ崎へ。

番所跡」。
坊津の津口番所があった場所。
坊津歴史資料センターの駐車場にあります。
実際の番所はこの下辺りにあったようで
坊津に拝る内外の船舶を検査して、
特に異国船に厳重な警戒がされたという。


双剣石」。
国の名勝「双剣石」が望めます。
天へ向い剣のように聳え立つ2つの岩で、
歌川広重もこれを描きました。
それぞれの高さは27mと21mとのこと。

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 日本三津のひとつ。 

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