坊泊郷は加世田郷から独立した郷で、
坊郷と泊郷の2つの郷が合併し、
坊泊郷となったようです。
坊津は古来より海外貿易の拠点でしたが、
唐船は全て長崎港に寄港するようになり、
海外貿易は表向き廃止。
しかし密かに密貿易が行われており、
藩の重要な資金源となていました。
この重要な地には中央より地頭が派遣され、
管轄地域の行政が担われた他に、
密貿易にも関与していたともされます。
「龍巌寺」。
坊津にある真宗本願寺派の寺院で、
境内周辺が坊泊地頭仮屋があった場所。
元々は泊郷にあったようですが、
いつ頃からかここに移転したようです。
真宗は薩摩藩で禁止されていたので、
明治期に地頭仮屋が廃止された後、
この龍巌寺が入って来たのでしょう。
ちなみに示現流の開祖東郷重位も、
坊泊の地頭を勤めています。
鹿児島県鹿児島市 東郷重位墓所
「近衛屋敷跡」。
文禄3年(1594)に右大臣近衛信輔(信伊)は、
朝鮮に渡ろうとした事により、
後陽成天皇や豊臣秀吉の怒りを買い、
坊津に配流されています。
信輔は仮屋敷地内の屋敷に住まわされ、
3年間の配流生活を送りました。
配流中には書画や和歌を教えたり、
周辺を散策したりして過ごしたようで、
京文化を坊津にもたらしています。
■関連記事■
・鹿児島県南さつま市 坊津
薩摩藩の密貿易の拠点であった港。
・鹿児島県指宿市 山川地頭仮屋跡
山川郷の地頭御仮屋跡。
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指宿麓の地頭仮屋跡。