「箱根八里」「荒城の月」で知られる瀧廉太郎。
彼は西南戦争も終わっている明治12年生まれで、
このブログの範囲からは外れるのですが、
彼は日出藩重臣出身ということもありますので、
日出藩重臣家墓所を訪ねるというかたちで紹介致します。
日出藩初代木下延俊に仕えた瀧俊吉を初代とする瀧家は、
以後、11代に渡って家老等の重職を勤めました。
10代当主瀧平之進は、帆足萬里の高弟であり、
帆足の藩政改革の際には、家老職となって帆足の改革を支え、
帆足退任後も家老職を勤め、改革を継続させます。
11代当主瀧吉弘は、慶応元年に家督を相続。
武頭となって日出藩兵に洋式調練を行っています。
維新後、日出藩権大参事、大参事に昇任し、
廃藩置県後は、大蔵省に出仕。
内務省に転じて内務官僚を勤めました。
瀧家の墓所は龍泉寺にあります。
「龍泉寺本堂」。
本堂はコンクリート製。
空襲かなにかで焼失したのでしょう。
「碩学帆足萬里先生 楽聖瀧廉太郎先生 菩提寺」とあり、
帆足萬里の菩提寺でもあるようです。
「瀧家墓所」。
本堂の左に瀧家墓所があります。
廉太郎と父吉弘、妹の郁子の墓は、
大分市の万寿寺にありましたが、
平成23年に遺族の意向により、
累代墓所である龍泉寺に移設されました。
「瀧廉太郎君碑」。
東京音楽学校の同窓有志者が建立した石碑。
これも万寿寺にあったもので、
墓石の移設の際にここに置かれました。
「瀧累世之墓」。
廉太郎と父の吉弘、妹郁子の合葬墓。
楽聖と呼ばれる人物にしては、あまりにも小さな墓。
ドイツ留学中に肺結核を患い、帰国し大分で23歳で死去。
その死後、結核での死亡ということもあり、
手元にあった未発表の楽譜も焼却されたとされました。
名曲になりえたかも知れないその楽譜が失われたのは、
とても残念な事ですね。
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・大分県竹田市 岡城跡①
名曲「荒城の月」は岡城がモデルとのこと。
・大分県日出町 日出城跡
瀧廉太郎は日出藩の家老家出身。