伊達家墓所のある大年寺山を下りて、
玉蟲左太夫の墓がある保春院は向かいます。
「足が痛い・・」と独り言を言いながら、
45分かけて歩きました。
保春院はJRの高架沿いにあります。
「保春院」。
伊達政宗の母義姫の十三回忌に、
その菩提を弔うため創建された寺。
寺名は義姫の法名に因みます。
玉蟲左太夫は昌平黌で学んだ秀才で、
箱館奉行堀利煕と樺太や蝦夷地を調査。
同行者には榎本武揚や島義勇もいました。
後に批准書交換使節団として渡米。
詳細な日記航米日録を記録しています。
戊辰戦争では列藩同盟締結に大きく関わり、
軍務局副頭取にも任命されました。
この事から降伏に切腹しています。
「保春院本堂」。
本堂は改修中でした。
この保春院は蓮が有名。
隙間から蓮の葉が無数に見えました。
「玉蟲拙斎之墓」。
保春院墓地の本堂の左側に、
玉蟲家の墓の隣に並んでいました。
玉蟲左太夫は秀才であることはもちろん、
なにより記録能力に優れていました。
列藩同盟締結という重大な外交任務では、
事務能力が評価されたのでしょう。
足の裏の痛さはピークに達し、
これ以降の史跡に歩いて行くのは不可能。
観念して電車に乗ろうと思ったのですが、
最寄の薬師堂駅まで歩いて14分。
へろへろになりながら駅に向かいました。
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