新田藩はいまいちピンときませんね。
新田藩は新田開発によって石高が増え、
その増えた石高を藩主家親族等に分与し、
諸侯に列したものを云います。
しかしこれがなかなかハードルが高い。
まず増えた石高を幕府に認められ、
そのうえで分与しなければなりません。
幕府もむやみに大名の表高を上げると、
藩の格式まで上げてしまいますので、
他との兼ね合いもあり認めようとしない。
表高が上がらないまま分与すると、
藩の表高が下がってしまい、
今度は藩の格式も下がってしまう。
これを避ける為に蔵米を支給し、
1万石の収入がある事を認めてもらい、
諸侯に列したのが新田藩大名なわけです。
普通は年貢等を徴収して収入としますので、
それ相応の行政機関が必要となりますが、
上記の場合はそういう機関は必要なく、
支給の蔵米を管理する事務方で事足りる。
新田藩の殆どが定府大名で、
江戸屋敷のみで藩庁が無いのはその為。
それとは別に本来のように新田を分与され、
その領地の経営を必要とする場合には、
必然的に藩庁を置かねばならなくなる。
この藩庁が設けられた事により、
その新田藩は藩庁名の呼称となりますので、
新田藩とは呼ばれなくなります。
また実際に新田を分与されても、
実際の領地支配は宗家の役人が行い、
収入も宗家が徴収するケースもあります。
これは自領とはいえ経営を委託する為に、
行政機関を置く必要はありません。
このケースも新田藩と呼ばれます。
維新後に新政府は蔵米支給の大名を、
諸侯とは認ない方針を取った為、
上記のような新田藩は慌てて藩庁を置き、
藩庁名の呼称になっています。
以上のように特定の領地を持つ事はなく、
宗家蔵米から蔵米を支給される場合が、
俗にいう新田藩というわけですね。
つまり新田藩とは藩庁を持たない藩で、
名目上は宗家の城等を藩庁としますが、
実際には新田藩の藩庁なんてものは無い。
強いて言うならば、
江戸の上屋敷が藩庁だったともいえます。
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