栃木県宇都宮市 戊辰役戦士墓

戊辰戦争新政府軍に属した宇都宮藩は、
会津飯寺村の戦いで長岡藩の山本帯刀を捕え、
薩摩藩軍監中村半次郎に引き渡しています。
山本は恭順を拒んで斬首されますが、
その死を悼んだ宇都宮藩兵により、
ここに祀られました。
また会津藩の戦死者も合葬されています。


六道口 戊辰之墓」。
山本隊は濃霧の為に味方と誤認して、
宇都宮藩陣営に近づいて捕えられています。
薩摩藩に引き渡されると知った山本は、
軍資金200両を隊長戸田三男に託し、
戦役での戦死者の供養を依頼しました。
戸田は軍資金と山本の愛刀を預かった後、
薩摩藩に山本らを引き渡しています。

戸田三男は宇都宮に凱旋後、
山本の愛刀を藩主戸田忠友に献上。
現在は栃木県護国神社に秘蔵されています。
後に供養の許可が下りると、
預かった軍資金と旧宇都宮藩士達の浄財で、
この墓碑が建立されました。
当時は広い墓域があったようですが、
道路整備の為に縮小されたようで、
現在の状態になったようです。

新政府軍が埋葬を禁止したという話が、
未だに信じられているフシがありますが、
昨今徐々に埋葬に関する資料が見つかり、
それらは否定されてきています。
実際に埋葬禁止の野ざらしの状態では、
疫病が蔓延してしまいますので、
戦後の経過を考えてもそれはありえません。
これは埋葬供養を勘違いした結果で、
賊軍となった戦死者を供養するのが、
公然とは憚られたということで、
墓碑の建立が遠慮されたという事。
今風に言えば新政府に対する忖度ですね。

もちろん埋葬とは別に、
戦死者に対する官軍賊軍の扱いや、
靖国神社への合祀等の諸事情はありますし、
諸問題を抱える出来たばかりの新政府が、
至らなかったのも事実でしょう。
そう考えると埋葬禁止令が信じられたのは、
仕方のない事なのかもしれませんね。

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