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文久3年5月16日。
白石正一郎の許に榊屋仁作から使いが来ます。
「今日藍島から目の下二尺の鯛が届きました。
粗酒一献差し上げたいと思いますので、
ご兄弟揃ってお越し下さい」との事。
あまり気は乗らないが、
せっかくのお誘いを断っては、
後日の祟りもあろうかと、
弟白石廉作と2人で馳走に行きます。
攘夷熱の沸騰している下関で、
気の荒い連中が大勢押し寄せてる矢先、
京で目明しが天誅で殺されていることもあり、
白石と懇意になっておくことは、
自分の身の安全と考えたことでしょう。
酒宴中に小倉屋から手代嘉吉が飛んできて、
白石に耳打ちします。
「光明寺党が仁作を殺そうと息巻いている」
この情報を聞いた家人が驚いて、
使いを寄こしたようでした。
仮に討ち漏らしたら後難が恐ろしい。
この際仁作を助けて恩を売った方が良いと、
白石の母堂からの忠告があったので、
清末藩の在番に頼み仁作を牢獄に入れ、
襲撃の難を逃れさせました。
この夜。
豊前田の博徒京駒が惨殺されています。
目明し榊屋仁作は寸でのところで命を拾い、
その後は大人しくしていたそうですが、
明治維新後に段々と本性を現していきます。
下関は北前船の寄港地で花街が繁盛し、
明治に入ってからも繁盛していましたが、
置屋家業の仁作もこの波に乗っています。
誘拐したであろう娘を働かせて虐待し、
客の財布を根こそぎ取る程の商売で、
家財は日に日に増えていました。
やれ漕げそれ漕げ下関まで漕げよ
関にはあの子がまねき猫
船乗りの歌にこのようなものがありますが、
やはり港町下関の遊郭の主客は船乗り。
土佐米を運ぶ宝寿丸の船員もそんな客で、
その中に中根三九郎がいました。
元土佐藩士で剣術に優れた武士堅気に人物で、
船を守る用心棒として雇われましたが、
気さくな性格でよく働いていたので、
船を任されていました。
中根には仁作の経営する坂輪楼に、
お蓮という情婦がいて、
下関に寄港するたびに足しげく通い、
お蓮から遊興費を立て替えるほどの仲でした。
足しげく通うからツケが溜まってしまい、
来年までに清算しようと約束して下関を離れ、
翌年になって下関にやってきた中根は、
早速坂輪楼に向かいます。
お蓮と再開して喜んだのもつかの間。
仲居がやってきてお蓮を部屋から出し、
「今日こそは耳を揃えて25両を払ってくれ。
出来なければお蓮と縁を切りなされ」
と言うので、
中根は懐から5両2分を取り出して置き、
「これしかないが積荷の金が出来るから、
出来次第持って来る」と答えた。
そこへお蓮が帰ってきて、
「旦那とは切れてしまえと言われました。
どうかこれまでの御縁を諦めてくだされ。
またの逢瀬では笑って暮らすことも、
きっとできましょう」と縁切り話。
これを聞いた中根は顔面蒼白の後、
恨み節を残して坂輪楼から出て行きます。
子分らが2階の窓を開けて中根を見下し、
「土佐犬め逃げ帰れ!
恥を掻いたと泣いてみろ!
恥知らずのサンピン野郎!
見下げた卑怯者め!
矢でも鉄砲でも持って来い!
いつでも相手になってやる!」
など散々に喚き散らしました。
「おのれ榊屋仁作!
今に撫で斬りにしてくれる!」
と中根は叫び消えていきました。
翌日坂輪楼では中根の襲撃に備え、
子分を配置しましたが、
何事もなく過ぎています。
中根は船に帰って周辺を整理しており、
次の日に脇差を懐に入れ、
羽織袴で数珠を首にかけて、
船を下りて坂輪楼を目指しました。
仁作の子分がそれに気付いて尾行し、
豊前田あたりまで辿り着きます。
昼過ぎで近くの小学生が行き来している中、
子分は中根を後ろから羽交い絞めにしました。
中根は男が仁作の子分と判ると、
脇差を抜いて子分の腹に突き立てました。
抜いた瞬間に近くの小学生に刃先が触れ、
ワッと泣き出し人が何事かと集まってきます。
子分は腹を刺されてそのまま絶命。
返り血を浴びた中根は坂輪楼に向かいますが、
襲撃に備えて扉は閉じられている。
裏口に廻っても扉が閉じられているので、
仕方なく納屋をつたって坂輪楼の裏に入ると、
仁作の養子藤兵衛が薪を割っている。
これに後ろから斬りかかり藤兵衛は絶命。
それから台所に行って仁作の義母を惨殺し、
「仁作!出て来い!」
と叫びながら2階へあがる。
女郎や仲居らは逃げ出し、
子分らや警察が集まってきて、
格闘の末に中根は捕らえられました。
仁作はどこに居たのかはわかりませんが、
女郎らと逃げていたのでしょう。
後に中根は終身刑となって獄死。
仁作は2度も窮地に一生を得ています。
憎まれっ子、世に憚ると言いますが、
極悪人榊屋仁作は天寿を全うし、
明治16年頃に往生したとされます。
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