功山寺の長門尊攘堂や万骨塔を建立して、
幕末志士達の顕彰事業を行った桂弥一。
特に万骨塔は全国から石を集めてきて、
一箇所に集めた壮大なものです。
「萬骨塔」。
長州系の志士だけではなく、
土佐、薩摩、水戸などの名も見られます。
そんな桂弥一ですが自身の墓所は?
色々と探してみましたが、
どこにあるのかわからない。
功山寺に葬られたとされていますが、
何度も功山寺墓地に行っているのに、
そんな墓は見た事無い。
ネットの情報は当てになりません。
下関市立歴史博物館に問い合わせてみると、
「桂弥一は昭和14年に亡くなった際、
功山寺に墓が建てられましたが、
その後東京に移されたため、
現在功山寺にはないとのことです。
移設は昭和40~50年代頃と思われますが、
資料がない為はっきりしません。」
とのこと。
なるほど。
功山寺に葬られたのは間違いないですね。
東京に移されたということは、
親族の東京移住で移されたのでしょう。
桂弥一の墓は東京にある・・・・。
で、どこなんでしょうね。
青山霊園か?谷中霊園か?
子孫は今もいらっしゃるのでしょうか?
誰か知ってる方は教えて下さい!
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長府博物館は尊攘堂から移転しました。