男谷精一郎、大石進と並び天保三剣士と云われた島田虎之助。
勝海舟の剣の師としても知られ、
下関にも縁のある(記事はこちらとこちら)人物です。
中津藩士島田市郎右衛門の子として生まれ、
中津藩剣術師範堀一刀斎… 続きを読む
幕末三剣士(天保三剣士)の一人である大石進は、
柳河藩士大石太郎兵衛の長男として生まれ、
新陰流剣術及び大島流槍術剣槍術を父に学びます。
大石家は祖父の代より、柳河藩の剣槍術師範役及び、
柳河藩の同族である三池藩の剣槍術師範役で、
その為に交際費がかさんで苦しい生活を強いられ、
進は田畑を耕して家計を補ったそうです。… 続きを読む
北浦街道の小串-湯玉間に犬鳴岬と呼ばれる岬があります。
※よく犬鳴峠(いぬなきとうげ)と勘違いされるのですが、
「峠」の方は福岡の最怖心霊スポット。
「岬」の方は「いんなきはな(ばな)」と読みます。
犬鳴峠は全国的にも超有名な心霊スポットなのですが、
犬鳴岬の方は、下関でもそんなに知名度は高くない場所。
「峠」には旧犬鳴トンネルがあり、魔界に通じているとか、… 続きを読む
幕末の三剣士といえば、
男谷精一郎、島田虎之助、大石進の三人ですが、
幕末とはいえ、三人が活躍したのは天保期です。
※天保の三剣士とも呼ばれます。
この中の一人である島田虎之助が、
若い頃に下関で道場を開いていた事は、
あまり知られていません。
虎之助は、中津藩士島田市郎右衛門の末子として生まれ、
母の兄である人吉藩士宮原兵衛之助… 続きを読む