久々に勝山御殿跡に行ってみました。
長府藩の藩庁であった長府陣屋は、
関門海峡に近接した場所であったので、
海上から砲撃に耐えられません。
そこで内陸に陣屋を移転します。
それが勝山御殿で、
約半年の突貫工事で造られたこの御殿は、
御殿という名の戦闘要塞でした。
当時の長府の地形図。
長府では外国船の砲撃に耐えられませんが、
勝山御殿は三方が山に守られています。
守るに適した場所ですね。
勝山御殿の入り口。三ノ丸跡へ登る階段。
最近のみよちゃんのお気に入りポーズ。
「三ノ丸跡」。
二ノ丸跡と三ノ丸跡の間に道路が通り、
勝山御殿公園の入り口になっています。
三ノ丸跡の説明板。
当時勝山御殿の推定図。
一方向に守りを集中した造りです。
「二の丸跡」。
綺麗に整備されています。
「本丸跡」。
広いグランドになっていて、
野球やサッカー等が出来る広さ。
本丸跡から前方を見た風景。
戦闘時は大砲を前面に並べ、
前方だけに集中攻撃ができます。
落とすには容易ではないでしょう。
四カ国艦隊は海岸線を占領しただけで、
勝山陣屋まで来る事はありませんでした。
下関戦争の講和談判の際、
一戦も辞せずの交渉ができたのも、
戦える算段があったからかもしれませんね。
【長府藩】
藩庁:勝山御殿(長府陣屋から移転)
藩主家:秀元流安芸毛利家
分類:5万石、外様大名(長州藩支藩)
■関連記事■
・下関市長府 長府陣屋跡
長府藩が城を破棄した後の藩庁。
・下関市長府 櫛崎城跡
長府藩が居城を破棄する前の城。
・下関市田倉 勝山御殿
初めて訪問した際の記事。