京都府京都市 長州藩京都藩邸跡

京都ホテルオークラの前身京都ホテル
※現在も運営会社は㈱京都ホテル
ホテルオークラとの業務提携で、
平成14年に現在の名称になったもので、
60mの高層ホテルは市街一の高さという。
その前が[常盤ホテル]であり、
神戸で温泉料亭「常磐楼」を営む前田又吉が、
京都府勧業場跡地である現在地に建設。
洋風木造建築の豪華なホテルだったという。
※前田は伊藤博文と親交があったようです。
 伊藤は初代兵庫県知事でしたので、
 この関係からの縁と思われます。

勧業場は東京遷都後の京都の産業振興の為、
京都府が設置した産業振興の中枢機関で、
商工業の業務や特産品の陳列等を行い、
明治14年に廃止されています。
※前田の死後に常盤ホテルは買収されて、
 京都ホテルとなりました。


この勧業場が設置された場所は、
かつて長州藩京都藩邸が建っていた場所で、
藩邸は禁門の変の際に焼失しており、
その後空き地となっていた場所でした。


長州屋敷址」。
ホテル敷地の御池通り沿いにある石標。
京都藩邸は長州藩の活動拠点で、
江戸時代初期よりここに置かれていました。
長州藩毛利家朝廷への接触を許され、
歳末歳首の礼物献上や経済的支援が行われ、
藩主の入京も特別に許されています。
※毛利家の家系が大江広元に繋がり、
 その広元の先祖は51代平城天皇に至り、
 皇統に連なる事が尊重された為という。

このように江戸時代初期より朝廷と繋がり、
尊皇思想が定着する土壌があったわけです。


桂小五郎像」。
ホテル敷地の河原町通り沿いにある像。
実は桂(木戸)の唯一の銅像だったりします。
※道の駅萩往還の観光用の銅像を除く。
桂は尊攘派の指導者的立場にありますが、
長州志士達の首領のようなものではなく、
兄貴分のような存在でした。
気さくで面倒見が良かったようで、
誰にでも親切であったとされ、
他人を尊重して上手に周旋したという。
内訌戦を戦っていない桂が藩に迎えられ、
政務座に入って統率者となったのは、
このような人柄が信用された為でしょう。
後に木戸孝允として明治政府の重鎮となり、
激務が祟って持病が悪化し、
明治10年に死去。
西南戦争の最中でした。

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